小沢健二の世界(5) 刹那

音源は全てCD-Rに焼いて持っていた。
 それでも発売を心待ちにしてしまった。
 そして購入後はヘビーローテーションになってしまった。
 まったく、いつからこんなにファンになったのだろう。
 こんなにも「青春」の音になろうとは、当時は思いもしなかった。

 これこそ「LIFE」の次に出されるべきはずのアルバムだ。
 これが出ていれば、小沢健二はそういう路線の人として理解され、人気も定着していたことだろう。
 しかし、だからこそ、彼はそうしなかったのだろう。
 一つの方向を選ぶことなく、変わり続けることを選んだ。
 それは、あるいは無責任かもしれないけれど、大変で、不安定で、自由で、表現者としては誠実な道だ。

 そして、今になってこれらの曲はアルバムになった。
 しかも「刹那」というタイトルをつけられて。
 時期とタイトルによって、この作品には別の意味が与えられた。
 今リリースされるからこそ、単なる「LIFE2」に終わらずにすんだ。

 恋愛による爆発するような生の感覚と、それを遥か遠くから見る視点。この、超主観と超客観の対比は、当時の小沢健二のテーマだ。
 恋愛を通して「生」に没入する時、魂は高揚し、世界は今までと違った見え方をする。なんでもない風景やなんでもない出来事が妙にくっきりと、輝いて見える。それらの輝ける瞬間の具体的な風景が、小沢健二の曲には異常なほどたくさんちりばめられている。
 そして、それらはすぐに(同じ曲の中で)相対化される。それらの美しい風景の断片は、地球という惑星の外から見たとき、あるいは過ぎていく時間の流れの中で、すぐに消え去っていく。
 それは絶望でもニヒリズムでもない。
 具体的な情景は歴史のなかに消えたとしても、そこにはあるものが残る。「優しさ」と表現されるような、ある気配のようなものが。
 そのことはどの曲でも歌われているのだが、曲の中では主観的な情景ばかりが目立ち、客観的な部分は見えにくい。

 しかし、長い時間が過ぎた後に、しかも「刹那」というタイトルをつけてそれらがまとめられると、その時点ですでにに客観的な視点は与えられている。
 曲の中で歌われている、恋愛のきらめくような時間も、別れの切ない時間も、独りの時間も、それらは長い時間のなかでは、刹那に過ぎない。
 そして小沢健二があろうことか売れ、歌番組や紅白にまで出てしまい、輝きを放っていたのも刹那に過ぎないかもしれない。
 どんな瞬間も過ぎ去っていく。
 そして様々なことのバランスが移り変わっていく中で、その瞬間は二度と戻らない。
 しかし、あらゆるものが頂点にあり、全てが輝き、時間がなくなり、世界と溶け合って一つになってしまうような、「永遠」とつながってしまうような瞬間は、確かに存在するのだ。

 それは、小さな「悟り」の瞬間なのかもしれない。
 ニーチェが言う、「この瞬間があれば、全てのことが再び繰り返しても構わない」と全てを肯定できるよう瞬間なのかもしれない。
 そんな瞬間は、一度きりしか来ないかもしれない。
 人生のなかで輝きを放つことができる季節は短く、二度と戻らない。
 それでも、それは確かに存在したのだ。

 そして、その瞬間を形に残せるというのはこの上なく幸せなことで、だからこのアルバムには消えない熱が込められている。

(04.01.13)



「流星ビバップ

 小沢健二本人によって選ばれたこのアルバムは、この曲から始まる。
 明るい曲調だが、
“長い夜に部屋でひとりピアノを叩き水をグッと飲んで”
 別れた後に思い出をいろいろと反芻している曲である。
 「LIFE」が幸せの絶頂の時間中心だったから、時間的にも少し後ということになる。
 そして視点はすでに未来へと飛んでいる。

“僕たちが居た場所は 遠い遠い光の彼方に
 そしていつか全ては優しさの中に消えてゆくんだね“

 そして本当に時間が過ぎ、「刹那」としてまとめられてみると、全ては優しさの中に消えていたのだった。

“目に見える全てが優しさと はるかな君に伝えて”

 

「さよならなんていえないよ(美しさ)」

 小沢健二は、恋愛の最高に美しく幸せな季節の中でも、別れの予感を感じてしまう。

“美しさ:ポケットの中で魔法をかけて
 心から:優しさだけが溢れてくるね“

 しかし、
“本当は思ってる 心にいつか安らぐ時は来るか?と”

 そして、
“嫌になるほど誰かを知ることは
 もう二度とない気がしてる“

 にもかかわらず、次の瞬間、彼は言う。
“左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
 僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも“

 本当は、全ての美しい瞬間は過ぎ去ってしまうことを知っているのだ。

 だから、後からこう言ってしまっている。
“本当は分かってる
 二度と戻らない美しい日にいると
 そして静かに心は離れてゆくと“

 それは分かっている。
 しかし、それでも美しい瞬間はいつまでも続くと言い切ってしまうのだ。
 叶わないことだと知っていても。
 それは祈りだ。
 だから、とても切ない。

 

「夢が夢なら」

 恋愛の燃えるような夏の季節は過ぎ去り、季節は淡々と過ぎ去っていく。

“ああ 夢が夢ならそれでも構わない
 萌え立つ霧と蜜の流れる波をたゆたう姿“
 出来事はリアリティを失い、夢の中に溶け去っていく。

“僕は独りで生きることを学ぶさと思いながら”

 夢のような現実は流れ去っていく。
 しかし、淡々と巡る季節は、転調をしながら徐々に盛り上り、再び冬が来た時には何かが変わっている。

 そして、
“緩やかな円を描くように 僕らの息・吐息交差する
 手をのばしそれをそっと握り 誰かと船を進めてゆく
 対岸の灯り眺めながら 往きつ戻りつ往く夜船を“

 そして、幻想のように美しい現実の中、淡々と生きていくことを思う。


「強い気持ち強い愛」

 このアルバム中、暗闇を抜けて恋愛の光の絶頂に飛び込んだ高揚が最も表されている曲だ。
 そして過去を振り返る。

“全てを開く鍵が見つかる そんな日を捜していたけど
 なんて単純でバカな俺“

 答えは抽象的な思考の中にはなかった。

”ああ 街は深く僕らを抱く!”

 具体的な場所に、具体的な風景の中にあった。

“幾つの悲しみも残らず捧げあう
 今のこの気持ち 強く強く強く
 長い階段をのぼり 生きる日々が続く
 大きく深い川 君と僕は渡る
 涙がこぼれては ずっと頬を伝う”

 この辺りの高揚はものすごい。
 もう嬉しすぎて泣いているのだ。

 だけど、
”今のこの気持ちほんとだよね”

 と確かめずにはいられない。
 それが永遠に続くことなど信じていないのだ。
 だからせめて束の間でも、本質に触れたと信じていたいのだ。

 
「流星ビバップ

そして最後、同じ場所に同じ音が響く。
しかし、そこにはもう小沢健二の姿はない。