小沢健二の世界(4) eclectic

 「eclectic」のちゃんとしたレビューへの要望を、いくつか頂いた。
 自分としては、別項できちんとカタをつけたつもりだったのだが、どうやらごまかしきれなかったようだ。(当たり前だ。)

 正直に言うが、とても、書きづらい…。
 まず、歌詞が頭の中に残っていない。断片しか残っていない。「ジャコ・オノ」、「ウーゴコ・ウー」、「ア・アールー」、「カーガミ」とかそんなのだ。もう呪文のようだ。まず歌詞を把握しなくてはいけない。だが、あの読みにくい歌詞カードだ。非常に面倒である。
 また、「eclectic」の背景となる情報を、僕は小沢健二と全く共有していない。過去の作品の頃、少なくとも僕は小沢健二と同じ時代の東京、あるいは東京近郊の風景を共有していた。しかし、「Eclectic」はニューヨークで書かれている。そんな所には行ったこともない。
 さらに、今回は小沢健二のメディアへの露出が極めて少ない。だから、小沢健二の状況が見えてこない。手がかりは微妙な表情をした写真くらいだ。

 まあ、そんな言い訳を書き連ねた上で、始めてみることにする。
 手がかりを求めて、まず5年間の沈黙に入る前の作品を見てみる。最大の手がかりはここにあるはずだ。毎回作風が大きく変わる人ではあるが、なんらかの連続性は残されているだろう。同じ人なんだから。
 最後の作品とは、「ある光」である。と言ってしまおう。
 沈黙に入る前の最後のシングルは「春にして君を想う」であるが、その最後に、ノークレジットで「ある光」は入っている。これは一つの謎だが、きっと、もう一度聴いて欲しかったんだろう。いい曲なのに思ったほど売れなかったから、もう一度入れて、できるだけ多くの人に聴いてもらいたかったんだろう。それだけの思いとメッセージが、この曲には込められているのだろう。と解釈しつつ、見てみることにする。



 「ある光」

新しい愛 新しい灯り
麻薬みたいに酔わせてくれる痛みをとき
連れてって 街に棲む音 メロディー
連れてって 心の中にある光

この線路を降りたら 赤に青に黄に
願いは放たれるのか
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

 
 

 小沢健二は、この時、すでに新しい場所に向かおうとしている。
 「街に棲む音」に呼びかける。それは自分の「心の中にある光」と同じものだ。そして、かつて「天使たちのシーン」で、「にぎやかな場所でかかり続ける音楽に 僕はずっと耳を傾けている」と歌ったのと同じものかもしれない。しかし、より直接的だ。
 深くて濃いもの。我々全てを包み込み、動かしているような、大きく太いエネルギーのうねりのようなもの。本当の芸術家にしか捕らえられない、言葉にならない、「光」。それに呼びかける。
 そして、それに連れられて、日常という「線路」を降りてしまうことを考えている。
 安定した線路、それは、小沢健二であれば、「独特な王子様キャラで、良質な恋愛ポップスを産み出し続けること」であろうか。よく分からないけれども。しかし、そこに留まろうとはしない。
 人生の線路ってのはどうしても存在していて、別にサラリーマンにならなくたって、注意深くあれば、線路の続いていく先はある程度見えてしまう。それは、100%満足のいくものであるはずはないけれど、それを受け入れ、自分をなぐさめてしまうことはできる。そして、たいていの人は、いつの時かそうする。そうして、最後の魔法は消えて、人は「大人」になっていく。それは悪いことじゃない。
 しかし、小沢健二はそれに抵抗しようとする。「まっとうな大人」になることを避けて、常に変化と刺激の溢れた、光と魔法の世界に飛び込んでしまうことを考えている。

 

この線路を降りたら虹を架けるような
誰かが僕を待つのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさてめしまわずに

「強烈な音楽がかかり 生の意味を知るようなとき
 誘惑は香水のように 摩天楼の雪を融かす力のように強く
 僕の心は震え 熱情がはねっかえる
 神様はいると思った
 僕のアーバン・ブルーズへの貢献」
 
 

 小沢健二はいつでも、日常の些細な風景の中にでも、恋愛の中にでも、どろっと深く濃く流れるエネルギーのようなものを見てしまう人だ。
 それはもう、芸術家の「業」みたいなものだ。
 常にあっち側の世界を求めてしまう。だから、「強烈な音楽」なんかを聴いた日には、もう大変だ。心は震え、神すら感じてしまう。そして、世界を超え出てしまいたいと考える。そして、そこではいつでも「神」に会えてしまうのではないかと夢想してしまう。

 

この線路を降りたら海へ続く川
どこまでも流れるのか
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

let's get on board!

 

 「川」が「生」であるとしたら、「海」とは、それが一つに還る場所であり「死」だ。
 川はいつか海に流れ込んでしまうものだけれど、それがどこまでも流れるような、つまり「永遠」に繋がるような、生と死が交錯したような、そんな場所に、線路を降りたら行けるのだろうかと、彼は何度も何度も考えている。

 そして「let's get on board!」と、何度も繰り返す。その世界に、我々も一緒に行こうと、呼びかけている。永遠の少年は、まっとうな大人になることをせずに、魔法の世界に飛び出そうとしている。
 そして、ハーメルンの笛吹きのように、我々を、誘い出すのだ。

 「eclectic」

 そしてたどり着いた新たな世界。それが「eclectic」だ。

 R&Bの音と囁くような声で、光と闇、生と死が交錯し、夜と魔法と性に彩られた世界に、我々を連れて行く。
 そこは、閉ざされた夜の世界だ。
 「ある光」で歌われた、明るい光に満ちた世界ではない。「赤や青や黄」の原色が飛び交うような場所ではない。
 ここでは、日常の風景はリアリティーを持たない。
 昼間の光は届かない。夜の一番奥深い場所だ。
 夜と幻想と一時の夢と現実と炎が鏡に反射した出口のない迷宮の世界に、イメージと言葉の断片がこだましている。
 一瞬きらめく炎はあっても、それは鏡に映った虚像かもしれない。

 ここは閉じられている。
 人工物に囲まれ、自然がない。
 これまでの世界では、しゃべったり笑ったりしている自分をはるか遠くから見る大きな視線があった。それもない。
 バランスがとられていない。
 目と耳をふさいで、夜の底に2人で沈み込んでいるようだ。客観視などはしない。
 光と闇はより直接的に、そこにある。
 「向こう側」の世界だ。
 しかし、とても危険な場所かもしれない。
 ここは深すぎる。暗すぎる。

 ここは中間地点なのかもしれない。長く留まるべき場所ではないのかもしれない。
 現実の生活の中にしか、本当の「光」はないのではないだろうか。
 そして、いつかまたこの闇を抜けて、別の場所に行く必要があるのではないか。

 しかし、それでも、ここにはまだ光の残滓がある。目を凝らして見ると、こだまして、もう虚ろな呪文のようになってしまった言葉の中に、最初の光が残っている。以前と変わらないテーマが、響いている。

 

01.「ギターを弾く女」

弾き語りするあの人の手が その気になる何秒かが分かった
驚かせる愛をあなたに上げるよ

そんな姿 そんな可愛さ その気にさせる
悲しげな曲を書くのは止めて
その栗色の髪の毛を展ばして

驚かせる愛をあなたに上げるよ
本当の姿を暴いてみたいよ

 
 

 これが全ての歌詞だ。(以下同様)
 これまでと比べて、驚くほど言葉が少ない。
 少ない言葉と饒舌な音で、イメージの断片を浮かび上がらせる。
 
 そして、この世界は、夜、濃密な恋の予感から始まる。

 

02.「愛について」

雫ひとつ 肌を越える
あの人とあの人と
心二つ溶かす 大きな川のように
怖いけれど平気
その輝き その驚き

愛 火遊び 二人 燃やしてみたい 炎
愛 火遊び ゆっくり 燃やしてみたい 炎

踊るために 何もいらない 
その鼓動 その鼓動
遠くまで行く 戦闘機のように
遊びに誘う 戯れ歌のように

 
 

 官能的なピアノの音。絡みつくように妖しく、暗い。
 いきなり濃厚にエロい。

 夜。酒。退廃。
 「愛について」って、もう「性」とイコールだ。

 「大きな川を渡る/海が見える場所を歩く」と、昔、さわやかな隠喩だった「川」は、
 後に「海へ続く川/どこまでも流れるのか?」などと自問自答されていたが、
 ここではもう、2人でエクスタシーと共に中に溶け込んで、深く妖しく流れている。

 2人きり、夜の一番深い場所で、生と死の境まで行こうとしている。
 戻って来れるのだろうかというくらい深い場所まで。


03.「麝香」

麝香のかけらが夜を飾るころ
光と闇が踊るhighな予感を感じてる
あなたの背中が輝く 夢のように
黒いドレスの肩に いたいけな囁き

動く動くあなたの心 それを感じたい
穢れのない魔法使い この世界にいる喜び

獣の香りを残していた人
心の鍵が開く 小さな音を憶えてる
あなたが振り向く 儚い光が撃つ
黒いドレスの肩に添えた手で伝える

動く動くあなたの心 それを感じたい
穢れのない魔法使い この世界にいる喜び

愛の火の煌き 踊る月夜の前に
泉のように驚き いま心の中を満たす
あなたがそっとバッグに 手をかけ直したとき
何気もない仕草に その美しさは昂まる

動く動くあなたの心を

 
 

 ポップな名曲。
 夜の高揚。新しい光。

 「犬」は、独りの世界だった。
 「ライフ」では、2人で東京をデートしていた。
 「球体」では、別れて再び独りになった。
 「eclectic」は、最初から最後まで、濃密に2人である。
 2人で、深い場所まで行って感じる世界である。


04.「あらし」

ああ 目が醒めても残った夢の話
故郷の町で聞いた不思議な話
外にgozillaのように降る雨が
寝物語を聞かせて暫くは ラララ…

黒い陶器に盛った椿のように華やかに
虹の光で織ったカシミアのように柔らかに
髪の毛をなびかせ あなたがいる
その一つ一つに 魅せられてる

あなたの愛情を感じたい
あなたの声を聞いて
遠い嵐

あなたの本能を感じたい
あなたの胸のそばで
遠い嵐

 
 

 そして一夜明けた、けだるい昼間。
 夢と現実の間のよう。
 2人、裸にベッドでいて、吐息と体温を感じさせるウィスパーボイス。
 遠くには嵐。

 「嵐」とは、このアルバムの世界の中で、唯一に近い「外部」であり、自然であるが、それは不安の影のようなもの。
 今が一瞬の休息の時であることを示す徴だ。
 遠くから冷徹にすべてを照らす自然ではなく、とても情緒的だ。


05.「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」

1つの魔法を あなたはくれるよ
それはhandsomeな瞳に隠した 心が灯した魔法
終わりのない愛しさを与え

数え切れない笑顔を見せて 心が求めた人よ
嵐が走った渚のように
書き直した歌詞のように
心が灯した魔法

ああ 風と光があなたに恵むように最初から 感じた
ああ 緑の中であなたは硝子よりも透き通って見えた
急に急にあなたの瞳から来るその力は 軽い衝撃波

1つの魔法を あなたに返すよ
値段のないおくり物
それは 未来への魔法

 
  
 
 このアルバムの中で珍しく(唯一?)さわやかな曲。
 優しさと穏やかな光が満ちた、昼間の曲。
 「魔法」という言葉は出てくるが、妖しげなムードはなく、いわば「白魔術」か。(他は?)


06.「∞(infinity)」

向かい合わせの鏡
向かい合わせの拡がり
あなたの心の中にある形

向かい合わせの鏡
向かい合わせの拡がり
あなたの心の中に棲む蠍

チェロの弓で撫でるように
肌の熱を探るときも
激しい光 魔性の闇
笑いと酔いの中でも
幻を見た記憶のように 触れられない
霞がいつもかかる何かがある

美しい皮の匂い あの人の
悩ましく重い痛み あの人の

和音一つ辿るように 背中のtattooに触れるけど
欲望を越え 本能を越え 静かに身を任せても
幻を見た記憶のように 触れられない
霞がいつもかかる何かがある

美しい皮の匂い あの人の
悩ましく重い痛み あの人の

 
 

 「皮」と「痛み」。
 今度はSMか・・・。

 合わせ鏡の中の、夜の迷宮。
 光は激しすぎ、闇は深すぎる。
 強いコントラストの中、生命の秘密に近づく場所。
 霞がかかる場所は、とても深いところにある。
 そこに迫っている。


07.「欲望」

今夜遅くあの人と深い愛を交わす
出口を出て待ち合わせて大通りを上る
悩ましく憂い満ちた夜
誘って その真っ赤な唇を噛ませて
誘って 悪戯っ子の微笑で人の心探る
足の先に可愛げな靴を輝かせる

摩天楼が見せている欲望の彼方で
今夜遅くあの人と深い愛を交わす

あ、あ、あなたの愛!

 
 

 「ナヤ、マーシッ、クーウ、レーイニ・ミ・チー、タヨルッ」
 ってそんな区切り方はあり得ない。

 冒頭でこのアルバムの言葉が「呪文のよう」という印象を書いたが、それはやはり意図されているのだろう。
 そうじゃなかったら、ド素人だこんな音の乗せ方は!
 また、わざわざ外人女性を呼んできて日本語を歌わせる、というのも、「呪文」感を高めている。
 読みにくい歌詞カードも同様だ。

 前作まで、過剰なまでの意味をまとっていた言葉は、ここでは逆に意味を剥ぎ取られて、単なる音に近づいている。

 深く繊細な地点では、言葉や意味は重要ではなくなる。
 音やリズムや響きや光や手触りや匂いの方が重要になってくるのだ。
 五感は敏感に研ぎ澄まされ、ちょっとした吐息や仕草のほうが、より雄弁に物語るようになるのだ。

 そして、結局この曲もまたエロだ。


08.「今夜はブギーバック/あの大きな心」

僕と友達がめかしこんで行ったパーティー
すぐに目が逢えば 君を最高に感じた
誰だってロケットがロックする特別な唇
ほんのちょっと困ってるjuicy fruit 一言で言えばね

今夜フロアーに華やかな光
僕をそっと包むようなハーモニー
これはいつか神様がくれた 甘い甘い蜜の味

やがて陽炎が空を焦がすこの街で あなたに会えたよ
それを最高に感じる
南へ行く高速道路 あなたと下る時
欲望と愛の行方を見てる魔法のように

あの大きな心 その輝きにつつまれた
あの大きな心 その驚きが煌いた
あの大きな心 その輝きにつつまれた
あの大きな心を!

今夜フロアーに華やかな光
僕をそっと包むようなハーモニー
これはいつか神様がくれた 甘い甘い蜜の味

クールな僕らが話をしたのは偶然じゃありえない だから
ブギーバック それは神様がくれた 甘い甘いmilk&honey
 
  

 原曲ではアクセサリーのように使われていた「神様」という言葉が、この曲では主題になっている。(あるいは元々そういうテーマの曲だったのだろうか?)
 神様という言葉は日本の中で発せられた時のような胡散臭げな響きを持たない。
 原曲のような、「今歌われている過去」といった、「最初からノスタルジック」な雰囲気が全くない。原曲のまとう過剰な意味が剥ぎ取られている。

 10年近く経って、一周して再び同じ曲で夜の世界を歌う。
 しかし、そこには、以前にはなかったものがある。
 大きな運命の輝きと驚きがある。
 それはより高い場所。

 そしてこの曲はやはりこのアルバムの1つの頂点ではないか。



09.「bassline」
(02.「愛について」のリフレイン)

10.「風と光があなたに恵むように」
(05.「1つの魔法」のリフレイン)

 

11.「甘い旋律」

幻のとき 遊び慣れた双子のように
友達でも知らない 共犯者のように
あなたの愛 炎 隠していて その胸に

貝殻を採り 足を濡らす遠浅の海
気づかず歩くうち 遠くへ行くみたい
あなたの愛 炎 隠していて その胸に

あの香水 あの痛み 遠い島で見た夢の続きを
あの風景 あの気持ち 甘い旋律を聞く幻を
あなたの愛 炎 隠していて その胸に

 

 アルバムの後半は、鏡に写った虚像のように、残響のように、リフレインが多くなる。
 それはこのアルバムの世界そのもので、夢と現実の間にあって全ては不確かなのだ。

 その中で、これだけが、オリジナルな歌詞を持っている。

 「幻」「双子」「共犯者」「濡らす」「痛み」「夢の続き」「甘い旋律」「隠していて」。
 夢のように儚くて、抑制されていて、しかしそれゆえにこそよりエロい。
 そんな単語が散りばめられている。

 遠い島=日本だろうか。遠い記憶も混ざり合い、よりノスタルジックになる。

 


12.「踊る月夜の前に」
(03.「麝香」のリフレイン)

 

 そしてこの世界は幕を閉じる。

 この世界には、最後まで変化がない。
 繊細で深く濃い世界が提示されただけである。
 しかしその先はない。
 大きな時間の流れがない。視点は遠くには飛ばない。
 主観のみだ。

 知識と理屈と過剰な言葉の人は、性の力を借りて肉体の人になり、客観性をなくした。
 平凡な人は、わずか数年でこんなに変化することはできない。
 また、言葉を使っていたら、きっと一生到達できない場所だ。
 それは、言葉の届かない場所だから。
 しかし、音楽ならば、一瞬でたどり着くことができる。

 それは、前進ではあるけれど。
 不安も残る。
 次はあるのだろうか・・・。
 客観性をなくし、自然に存在することができたら、もう表現することはできないかもしれない。
 いや、小沢健二は芸術家としての業を背負った人だ。
 またどうしても表現しなくてはいけなくなるだろう。

 しかし、いずれにしても、次のアルバムではまた変わらざるを得ないだろう。
 例えば、言葉はますます少なくなっていくのかもしれない。