小沢健二の世界(3) LIFE


なぜこの人のアルバムはどれも、最初の印象が途中で変わるのだろう。
きっと、曲に込められているエネルギーが大きすぎて、受け手にはすぐに分かるだけのキャパシティがないのだ。
最初は、正直「無理してる」と思った。「犬」を引きずっているような、まだはじけきっていないナイーブな声で、自意識の「手がかり」を残すこともないはじけきった歌を歌っていて。大丈夫かよ、と思った。


だけど、小沢健二は、「体力」をつけていた。
「知識」とか「手がかり」とか「言い訳」とかを残すことなく、作品そのもので勝負することができるようになっていた。自意識の勝負―どっちがクールでいられるか、どっちが失敗をやらかさないか、の次元を越えて。
でも、そのことに本当に気づいたのは、「ライフ」の後、何枚かシングルが出てから後のことだった。
そこまで来て初めて、これが小沢健二の新しい戦略でもなく、無理をしているわけでもなく、本当の表現なのだと気づいた。
(遅いか?でも、フリッパーズギター時代から追いかけていたら、そんな戸惑いを覚えるのも当然だろう。)
そして再び「ライフ」を聴くと、(やはり声はナイーブだったが)そこにはものすごい量のエネルギーが、熱が、愛が、込められていたことが分かった。


前作「犬」では、暗闇の中から夜明けのほのかな光を手にしたが、「ライフ」小沢健二は一気に光の塊の中に跳びこんだ。
人生の喜びは、再び彼の手の中に戻ってきた。
恋愛の、主観的な幸せの感情の爆発の渦へ。
子供の時みたいな、幸せな狂気の真っ只中へ。


絶頂。
これ以上はない絶頂の感覚。
最高の瞬間。
しかし、それはなぜこんなにも切なく、哀しいのだろう。
それ以上がないことが分かっているからだろうか。
最高の幸せの瞬間のその次の瞬間からは落ちていくしかないんだから、終わりがくることは最初から分かっているのだ。
一見、幸せな感情しかないように見える曲たちの裏側には、同時にそんな切なさがある。


それは、日常の中の感情の爆発を、幸せの絶頂を、やがては消えていくそれらの感情を、同時に「宇宙からの視点」、「永遠からの視点」で、冷静に見続けているもうひとつの眼があるからだ。
それは「犬」の世界で自分の奥底まで突き詰めたからこそ得られた視点だろう。
客観的な視点がなければ、本当に主観的なものは描けない。
深い闇がを知らなければ、本当の光は表現できない。


あれから5年も6年も経って、また聴いている。
そして、あの時よりも、もっとよく分かる。
やっぱり、すごいアルバムだったんだと思う。

○『LIFE』 (1994.8.31)
 1.愛し愛されて生きるのさ
 2.ラブリー
 3.東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー
 4.いちょう並木のセレナーデ
 5.ドアをノックするのは誰だ?(ボーイズ・ライフpt:1:クリスマス・ストーリー)
 6.今夜はブギー・バック(nice vocal)
 7.ぼくらが旅にでる理由
 8.おやすみなさい、仔猫ちゃん
 9.いちょう並木のセレナーデ(reprise)

<シングル>
○『今夜はブギーバック』 (1994.3.9)
 1.今夜はブギーバック(nice vocal)
 2.今夜はブギーバック(meanwhile back at the party)
 3.今夜はブギーバック(ヴォーカル用カラオケ)

○『愛し愛されて生きるのさ』 (1994.7.21)
 1.愛し愛されて生きるのさ
 2.東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー
 3.愛し愛されて生きるのさ(オリジナルカラオケ)
 4.東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー(オリジナルカラオケ)

○『ラブリー』 (1994.11.23)
 1.ラブリー
 2.今夜はブギー・バック("DISCO TO GO"LIVE)

○『カローラⅡにのって』 (1995.1.1)
 1.カローラⅡにのって
 2.カローラⅡにのって(オリジナルカラオケ)

○『強い気持ち・強い愛/それはちょっと』 (1995.2.28)
 1.強い気持ち・強い愛
 2.それはちょっと

○『ドアをノックするのは誰だ?』 (1995.3.29)
 1.ドアをノックするのは誰だ?(ボーイズ・ライフpt1:クリスマス・ストーリー)
 2.ドアをノックするのは誰だ?(”THE LIFE SHOW”LIVE)
 3.ドアをノックするのは誰だ?(ドアノック失敗!)
 4.ドアをノックするのは誰だ?(オリジナル・カラオケ)

○『戦場のボーイズ・ライフ』 (1995.5.17)
 1.戦場のボーイズ・ライフ(ボーイズ・ライフpt2:愛はメッセージ)
 2.僕らが旅に出る理由(”THE LIFE SHOW”LIVE)

○『さよならなんていえないよ』 (1995.11.8)
 1.さよならなんていえないよ
 2.いちょう並木のセレナーデ(LIVE AT BUDOKAN)
 3.さよならなんていえないよ(オリジナル・カラオケ)

○『痛快ウキウキ通り』 (1995.12.20)
 1.痛快ウキウキ通り
 2.流れ星ビバップ
 3.痛快ウキウキ通り(オリジナル・カラオケ)
 4.流れ星ビバップ(オリジナル・カラオケ)

○『ぼくらが旅に出る理由』 (1996.5.16)
 1.僕らが旅に出る理由(Single Edit)
 2.流星ビバップ(”レヴュー96”ライブ:96/03/09 横浜アリーナ
 3.僕らが旅に出る理由(オリジナル・カラオケ)


■愛し愛され生きるのさ

ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさ
けどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ


ふてくされてばかりの10代をすぎ分別もついて齢をとり
夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく


まぶしげにきっと彼女はまつげをふせて ほんのちょっと息をきらして走って降りてくる
大きな川を渡る 橋が見える場所を歩く

「ブギーバック」は小沢健二ブレイクのひとつのきっかけとなるポップな曲だったが、まだ「犬」の夜の世界だった。
この曲が「ライフ」の昼間の世界の真の幕開けとなる曲だと思う。
最初は、ゴダイゴを取り入れ(引用し)たり、語りを入れたりと、この人は急にどうしちゃったのだろうかと思った。
だけど、名曲。
恋愛期の、なにげないけれど最高に幸せな瞬間の情景が捉えられている。
そして、「永遠の視点」も取り入れられている。
この先の小沢健二の主題が含まれている。


■ラブリー 

夜が深く長い時を越え 
OH BABY LOVELY LOVELY WAY
息を切らす


いつか悲しみで胸がいっぱいでも
OH BABY LOVELY LOVELY
続いてくのさデイズ


LIFE is coming back!

小山田圭吾言うところの、小沢健二の代表曲。
最初はさほどいいとも思わなかったが、吉本ばななが言うように、カラオケで歌っているうちにメロディーの良さが分かってきた。
メロディーにエネルギーが満ちている。


― LIFE is coming back !―
夜の暗闇の中で誠実に考え抜いたからこそ、人生の光と喜びは再び手の中に戻ってきた。
もうそれはどんな時にも失われることはない。
そして、どんなときにも、日々は続いていく。


■いちょう並木のセレナーデ 

晴海埠頭を船が出てゆくと 君はずっと眺めていたよ
そして過ぎて行く日々を ふみしめて僕らはゆく


やがてぼくらが過ごした時間や 呼びかわしあった名前など
いつか遠くへ飛び去る 星屑の中のランデブー

恋愛のなかにある、小さな、しかし美しい情景の数々。
それらは、いつかは過去の中に消えていく。
しかしそうやって僕らは進んでいく。
犬は吠えるがキャラバンは進む
このテーマは、このアルバムでも一貫して流れている。


■ドアをノックするのは誰だ?

寒い冬にダッフルコート着た君と 原宿あたり風を切って歩いてる
たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだろ


僕はずっとずっと1人で生きるのかと思ってたよ


街は様子変えて僕らを包む 街路樹の匂いもちょっとずつ変わってく
スケートリンク 君と僕とは笑う 爆音でかかり続けてるよヒット曲
多分このまま素敵な日々がずっと続くんだよ

すごい情報量。
幸せの情景がこれでもかと目の前に映し出される。
ストリングスの対旋律があまりにも切な過ぎる。
どうしてこれが普通に聴けたんだろう。
狂気を孕むほどに幸せで、切ない。
ひとりで完結していた世界が恋愛によって他の世界と融合するとき、世界は無限に拡大するのだ。そして孤独と不安は幸せと確信に変わる。変わる…少なくとも曲の流れている間は。


■ぼくらが旅に出る理由

ぼくらの住むこの世界では太陽がいつものぼり
喜びと悲しみが時に訪ねる


遠くから届く宇宙の光 街中で続いてく暮らし
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる


そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く
美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間
せつなくてせつなくて胸が痛むほど

日常の風景から、宇宙にまで吹っ飛ぶこの視点は本当に素晴らしいと思う。
犬は吠えるがキャラバンは進むのだ。宇宙の果てまでも。


■戦場のボーイズ・ライフ

ずっと火花散らすバトルの間 夜空に高く見てるラッキスター


胸の奥にそっとロザリオ隠して人はみな歩く
この戦場の街吹いてくる風に涙なんてすぐ乾くはずさ


勇気を出して歩かなくちゃ 宝物をつかみたいから
心すっかり捧げなきゃ いつも思いっきり伝えてなくちゃ
暗闇の中挑戦は続く 勝つと信じたい だから


この愛はメッセージ 僕にとって祈り 僕にとってさす光


そしていつか夏のある日 太陽のあたる場所へ行こう
子供のように手をつなぎ 虹の上を走るように

驚くほどエネルギーに溢れてる。
元気を与えられる。
ほとんど宗教だ。
転調する”そしていつか夏のある日〜”のところではほとんど泣きそうになる。
純粋に何かを求める敬虔な姿勢。


■さよならなんて云えないよ

本当は思ってる 心にいつか安らぐ時は来るかと


嫌になるほど誰かを知ることはもう二度とない気がしてる


左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う この瞬間は続くと いつまでも


本当は分かってる二度と戻らない美しい日々にいると
そして心は静かに離れていくと

当時、正月特番でなんだか深夜に小沢健二タモリとかと一緒に出ていたのだが、そのコーナーの1つにイントロクイズがあって、小沢はこの曲がかかったときに「マイケルジャクソンのブラック・オア・ホワイト!」と大ボケをかましていた。自分で言うなよ…。
明らかに意図的なきついシャレだったが、周りはそうは受け取らずに、なんだかちょっと気まずい空気が漂ってたような気がする…。


閑話休題
切なくて美しい曲。
「左へカーブを曲がると〜」の所で、鳥肌が立つ。
カラオケで歌っていて泣きそうになる。
幸せの絶頂で、なぜか切なくなる気持ち。
ドライブをしていても、美しい景色が目に飛びこんでくるのはほんの一瞬で、そのことはよく分かっている。
本当の美には一瞬しか手が届かない。
そして、すぐに遠ざかってしまう。
それでも、分かっていても、敢えて「その瞬間は永遠に続く」と断言する。
それは祈りだ。