小沢健二の世界(2) 犬は吠えるがキャラバンは進む

フリッパーズ時代、小沢健二は混乱とあきらめとニヒリズムと絶望のノイズの中で、無限にゼロを目指した。
しかし、自分の奥底に沈み、その果てでついに限界をつきぬけた視点は、逆に高く、広く、宇宙にまで達する。
そして、そこから再び日常に戻ってきた目線が、世界のささいな、しかし美しい光景を捉える。
それらは断片だが、それを少しずつ集め、言葉に置き換え、つなぎ合わせてひとつの大きな物語を作り出していく。
それは神聖な作業だ。


暗闇の中で本当のことを求め、太陽の光を思っている。
そして、夜明け前の弱い光の中へ。


音数は減り、非常にシンプルな音になる。
決してうまいとは思えなかったボーカル(今聴くと結構うまいと思うけど)のバランスも大きくて、最初はとまどった。
ここまでむき出しにしてしまっていいのかと。
さらけ出しすぎていてなんだか痛々しかった。
だけど、なんだか分からない力強さを感じた。
音数が少ないのに、情報量がすごく多いように感じた。
ギターとベースのリフが、実はたまらなくかっこよかった。
いつまでの飽きの来ないアルバムだ。

○『犬は吠えるがキャラバンは進む』 (1993.9.29)
 1.昨日と今日
 2.天気読み
 3.暗闇から手を伸ばせ
 4.地上の夜
 5.向日葵はゆれるまま
 6.カウボーイ疾走
 7.天使たちのシーン
 8.ローラースケートパーク

<シングル>
○『天気読み』 (1993.7.21)
 1.天気読み
 2.暗闇から手を伸ばせ
 3.天気読み(オリジナルカラオケ)

○『暗闇から手を伸ばせ』 (1993.11.24)
 1.暗闇から手を伸ばせ
 2.夜と日時計(swamp folk)
 3.暗闇から手を伸ばせ(オリジナルカラオケ)


ライナーより

熱はどうしても散らばっていってしまう〜そのことが冷静に見れば少々効率の悪い熱機関である僕らとかその集まりである世の中とどういう関係があって、その中で僕らはどうやって体温を保っていったらいいのか?

生命は「熱」と大きな関わりがあるんだろうと思う。
地球という微妙な熱のバランスを保ちつづける星――凍りつくわけでもなく、全てが溶け出してしまうわけでもなく、奇跡的なバランスを保ちつづけている星の上で、生命はその熱のバランスを保つために存在しているんじゃないだろうか。


熱は散らばっていく。
それはものが高いところから低いところに流れていくような、密から疎に向かっていくような、秩序からカオスに向かっていくような、そして生から死へと向かっていくような、この宇宙を貫いているルールだ。
生命の燃焼。
動物の生は緩やかな酸化の過程。
人は何十年もかけて錆び、そして死ぬ。
石炭や石油が一瞬で行うことを、生命は長い時間をかけて行っていく。
確かに少々効率の悪い熱機関だ。


でも、死に向かって一方向に流れる時間の中で、時にその流れをせき止め、そして一気に放出するような、ねじをいっぱいに巻いてから進んでいくような、そんな繰り返すリズムの中にこそ、生命の意味があるんじゃないだろうか。
ジェットコースター…ゆっくりと頂上まで登ってエネルギーを蓄え、そこから一気に放出する。人はそれに快感を覚える。
過剰と蕩尽…過剰をため込むのは、ためることが目的ではなく、意味もなくそれを使い果たすことが目的なのだ。
ハレとケ…ブラジルのカーニバルみたいに、一瞬の非日常的エネルギー爆発空間のために、日常の生産を地味に行うってこと。
緊張と弛緩…”がまんすればするほど気持ちいい。”


だけど、生命の熱がどんどん均一にならされてゆき、ただ緩やかに死に向かっているような、どこまでも続くこの日常。
人が作り出し、増殖を続ける情報は、個々の重要性を消し去り、全ては意味のないノイズに変わっていく。
熱を集めてそれを放出するなんてことはできないんだろうか。
大切なことなんて、なにも残っていないのだろうか。
世界はカタストロフィを求めているのだろうか。


いや、「太陽が次第に近づいて来てる」予感がある。
人々の、毎日のささやかな生活の中の、ささやかな思い。
暗闇から飛び出して宇宙にまで達した小沢健二の目には、大きなサークルの中のそんな小さな美しい景色が見える。
このアルバムのなかにちりばめられている、美しい瞬間の積み重ね。
その重なりの中にこそ、意味があるのかもしれないと思えるような。
小沢健二は、このアルバムで、ささやかな風景からでも消えることのない熱を作り出せることを証明してくれた。
時を止め、凝縮して、永遠に消えない熱を作り出す者。
どんなに寒い冬でも暖め、どんな暗闇でも照らすような、熱の結晶を作り出す者。
それを作り出す者こそが本当の芸術家で、小沢健二も間違いなくその1人だと思った。


■暗闇から手を伸ばせ

友達は家へ帰ってしまった/夜通しのリズムも止まってしまった
大空へ帰そう/にぎわう暗闇から涙を拾って

パーティーが終わり、独りきりになったとき、夜の暗闇の中から、昼間の光の中へ出ていくことを決める。
そして新たな物語が始まる。


■カウボーイ疾走

もう間違いがないことや もう隙を見せないやりとりには
嫌気がさしちまった


舗道まで散らばって戻らない砂
寂しげにかきならされてるギター
新しい1日がまた始まるだろう 夜明け前の弱すぎる光

「間違いがないことや、隙を見せないやり取り」、つまり、フリッパーズ時代の自分との訣別宣言。
そして新しい時代の幕開けの宣言。まだ光は弱すぎるけれど、新しい1日は、確実に始まる。
 

天使たちのシーン

いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる
愛すべき生まれて育ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな止まらないルール


毎日のささやかな思いを重ね 本当の言葉をつむいでる僕は
生命の熱をまっすぐに放つように 雪を払いはね上がる枝を見る


太陽が次第に近づいて来てる


神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

「祈り」の言葉。
自分たちを超えた大きなものの存在の感覚。
「サークル」、「止まらないルール」、「生命の熱」、「太陽」…。


「神様を信じる強さ」とは、自分の理性(/自意識/言葉)で全てをコントロールするのではなく、自分を超えた大きなもの(運命?ルール?偶然性?)を信じてそれに身を委ねられるということなんだと思う。
自分を手放すには、「強さ」が必要なんだろう。

誠実な祈りは十数分続き、それは淡々としかし力強く、消えない熱を放っていて、何度聴いても僕は勇気づけられる。
 

■ローラースケート・パーク

誰かが髪を切っていつか別れを知って 太陽の光は降りそそぐ
ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて
そんなバカなあやまちはしないのさ


意味なんてもう何もないなんて 僕が飛ばしすぎたジョークさ
神様がそばにいるような時間続く

「髪を切る方法」、「全ての言葉はさよなら」…フリッパーズ時代に抱えていた思い、問題。それはまだ過去のことでもないし、小さいことでもないんだけど、それとは関係なく、太陽の光はいつも降り注いでいる。
犬は吠えるがキャラバンは進んでいく。


フリッパーズ時代、小沢健二は何度も意味なんてないって繰り返してた。
だけどそれをジョークだと言い切ってくれるのなら、このアルバムの言葉は本当のことだ。
新たな場所へ。