ザ・テレビ欄

素晴らしい本を入手した。その名も「ザ・テレビ欄」という。どんな内容か全く想像がつかないと思うので説明すると、新聞のテレビ欄だけがひたすら載っているという。…ご想像の通りである。
過去のテレビ欄などは、図書館にでも行って新聞の縮刷版などを手に取れば見れはするのだが、重いし、毎日見ても変わり映えしないし、何年分も見るのも面倒だし。ということである。
この本が秀逸なのは、4月と10月(番組改編期)の特番の時期を避けた1週間を、1975年から1990年までの長期間分、ひたすらそのまま掲載しているところにある。ぱらぱらと読んで流れを見ても面白いし、じっくりと読み込んでも面白い。
かくいう私は、1ページ目から熟読である。なんという情報量。時間がいくらあっても足りないぞこれは。
実は1975年からというのが絶妙で、私は幼い頃の記憶が豊富に残っている方なのだが、まだまだ幼稚園に行く前だったこの頃の、薄暗くぼんやりとした記憶が、テレビ番組を通して蘇ってくるのだ。
夕方の5時からは、「ママと遊ぼうピンポンパン」。最後に木の中に入って好きなおもちゃを持ってくる。自分だったらなにを持ってこようか。好きなものが誰かに取られたらどうしようか。出ている子供たちは自分より年上だった。
6時からは「ガッチャマン」を毎日やっていた。薄暗くなってくる部屋。夕方にはなぜか切ない気分になった。
「サスケ」。劇画調のタッチが郷愁を誘う。この郷愁は作品の持つものか。それとも自分の記憶のせいか。
もうプルーストの「失われた時を求めて」だ。(読んでないけど。)思い出がよみがえる。家の情景。ぬいぐるみ。ミニカー。くれよん。「ずっと3歳がいい。」と言っていた。幼稚園に行くのが嫌だったから。幼稚園に行くようになれば、その後小学校に行って、そしていろいろな学校に行って、働くようになって、もう遊んでいられなくなるから。先のことは全く見えなくて、人生は無限に続いているように思えた。思えば遠くへ来たもんだ。
・・・などと都度感慨に耽っていると時間は無限にかかりそうなのだが、ビデオなどなかった我々の時代、テレビというのは確実に記憶のフックになっている。あっちこっちでフックにひっかかりすぎて、なかなか先に進めない。