小沢健二の世界(1) 〜フリッパーズ・ギター


<カメラ・トーク
今改めて歌詞を読んでみると、意外なほど本音(多分)がちりばめられていることに驚く。
本人が後に、「自分はその時々の状態が正直に曲に出る。」と語っている通りだ。
しかし、当時最初に聴いた時には、驚くほどそれが見えなかった。
「ラテンでレッツラブ」、そんなやけくそな冗談のような歌を一方で歌い。
しかしそうやってバランスをとらなくてはいけないほど、本音が出てしまっていたってことなんだろう。
そのバランスの取り方。
つっこまれたら全部冗談だと言えるような、逃げのうちかた。
「語る」ことはカッコ悪いとされた時だ。(「語る」って言葉も、そのカッコ悪さを敢えてやっていることに自覚的であることを示す言葉であったわけだし。)
主観的であるってことや自分のことを語るってことはカッコ悪いことだから、表現者はそのことに自覚的であればあるほど、何も言えなくなってしまう。
インタビューでは、自分のことを語るために、音楽の知識で武装して、でたらめな言葉で逃げ回っていた。
後から思えば歌詞のまんまだ。
だけどそのことが確信できたのは、やっぱり「犬」が出てから後のことだ。
だから最初は距離を取ってた。心を許したら、全部冗談だと言われそうだ。
しかしその距離の取らせ方こそが、共感するところだったんだけどね。

バランスのとり方、それは音の作り方も同じだった。
心のなかの衝動を、バランスをとり、屈折させ、引用を多用して、あくまでもソフトでオシャレな音に昇華させる。
音の作り方が違うだけ。
それはそうだ。
初期衝動がなければ、心の中に過剰なエネルギーがなければ、どんな音だって生まれてはこない。
逆に、たくさんのエネルギーが注ぎ込まれていれば、どんな作り方であっても熱い音になる。
そして、熱いものはいつまでも残り、熱を放ち続けるのだ。


■恋とマシンガン

本当のこと隠したくて 嘘をついた
でまかせ並べた やけくその引用句なんて!
いつものこと 気にしないで

■カメラ!カメラ!カメラ!

Ah!どうせ僕らはイカサマなカードで逃げ回る
Ah!くやしいけど忘れやしないだろう!
このままでいたいと僕が思ってたこと
カメラの中3秒間だけ僕らは
突然恋をする そして全て分かるはず


本当のこと何も言わないで別れた
レンズ放り投げて そして全て終わるはず

当時学生だった僕は、このフレーズに共感していた。
完全に理解しあうなんてことは不可能で、そんなことはあきらめている。だけどその絶望の中で、一瞬だけは本当に分かり合うことができるかもしれないと思う。一瞬であることは最初から分かっていても。


■バスルームで髪を切る100の方法

見えすいてる/しゃくに触る/クソタレな気分蹴とばしたくて
髪を切るさ/バスルームでひとりきり大暴れ
ビストルなら/いつでもポケットの中にあるから

暴走する思考は肉体を置き去りにしていて、だから衝動はこんな風に現れる。
非肉体派のパンクロック。


■青春はいちどだけ

僕らは古い墓を暴く夜の間に
手に触れてすぐ崩れて消えてゆく


名前をつけて/冷たすぎるように/シールで閉じて隠して
名前をつけて/残酷なくらいに/さあ目を閉じて答えて

深夜に例えば哲学書なんかを紐解くスリルと興奮。そこには世界の秘密が記されている。だけど暴かれたはずの秘密はすぐに消え去る。
名づけるってことは、正体不明の隠されたものを白日の元に晒すってことで、化け物の正体を暴くってことで、夢を記述するってことで、無意識を意識化するってこと。そのことを理解しながら、意志を持って、隠されたものの正体を残酷なまでに暴いていく。
夜の興奮。世界を獲得していく過程。夜の世界の冒険者に、なにも怖いものはない。それはある種の「青春」なのかもしれない。


■偶然のナイフ・エッジ・カレス

通りを抜けて/遠く離れた/憎しみが今僕に急ぐ
唇噛んで/仕方がなくて/軽蔑の言葉を探した


でたらめばかり/並べてるうち/からまった僕らの寝不足


遠くまで見える目には流れ出す
5月の涙を僕らは誇りに思う
君に会う頃はスマートに/切りつける言葉僕は吐くだろう

小沢健二のトラウマ体験か?
プライドの高い人間が屈辱を感じたときの怒りと遠吠えが見事に表現されている。


■午前3時のオプ

笑え笑え笑い飛ばせ/僕たちの目は見えすぎて
ずっと宗教のようにからまるから
いつでも僕の舌はいつも空回りして
言わなくていい事ばかりが/ほら溢れ出す


耳をいつも澄まして/17歳の僕がいた
花束をかきむしる/世界は僕のものなのに!


回る回る回り続ける/僕たちの目は見えすぎて
きっといつまでも死を告げることだろう
雨の中大声で笑う/僕たちは不思議だと思う
掌の傷いつか消える/僕たちは膝ついて祈る
誰も聞かない声で叫ぶ/僕たちは偶然に気づく

このアルバムの世界観が最も濃密に現れている曲だと思う。
加速する脳、溢れ出す過剰な言葉、プライドとイラ立ち。
これもまたある種の「青春」の曲。


■すべての言葉はさよなら

雪が溶けて/僕たちは春を知る
同じことただ繰り返す
喋る笑う恋をする/僕たちはさよならする


分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ


暗い夜に痛いほど目を閉じた僕ら
でも今は平気さ
得意技のキザな言葉ですぐに/逃げ出すのさ

この曲でフリッパーズが好きになり、聴き始めたといってもいい。
第一印象は、「ありがちだけど良い曲」。
だけど、歌詞はあまりに切なく、絶望とあきらめと美しさが込められていて、「この人たちがどんな人で、どんな気持ちでこの曲を作ったのだとしても、この曲が美しい曲である事実は変わらない」と思った。そしてファンになった。



<ヘッド博士の世界塔>
新しいものなんて何もない。
何かを作り出す余地なんてもうどこにも残っていないように見えた。
知識がなければ、何かを作り出した!なんて思ってしまうけど、知っていればいるほど、それが「真のオリジナル」なんかじゃないことは分かってしまう。
だから、サンプリングを駆使し、分かりやすい「引用」を多用する。
真に新しいものなんてない。
でも、既存の情報を組み合わせて出来上がったものは、オリジナルだ。
知識を持ってしまって、それでも何かを作り出そうとしたら、そう思うしかない。
でも、そんなことを「やけくその引用」で過剰にやってみせる、その微妙なバランス感覚。
これもまた、妙に「分かった」。


■GOING ZERO

さぁもっと遠くまでゆこう
もうどうせここに居るまま


シュールな物言いで話そう
ゴール目指すなんてやめよう


ねぇまだかな午後のスコール
もうずっと待ちつづけている
遠心力だけで逃げてく先なんてどこにもありゃしないからね
そうだ名前つけてみせよう


going zero と呼んで 少し分かった気にもなるだろ?


だんだん小さくなる世界で僕は無限にゼロを目指そう
止まるくらい スピードを上げて ずっと ずっと・・・

無意味な言葉の断片と、メロディとリズムの断片をサンプリングした「ドクターヘッド」というアルバムは、その全体からメッセージを強力に発しているのだけれど、1曲ずつ見ていくと、意外とピンと来る言葉が少ない。
その中で、最も分かりやすい言葉があるのがこの曲で、このアルバム中で一番好きな曲でもある。


■ドルフィン・ソング

ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり

このアルバムの中での、唯一の「素」の言葉じゃないかと思った。
アルバム全体が、夏休みのようなものであり。


■ラブ・アンド・ドリームふたたび

あやふやで 見栄ばかり張る 僕たちのドーナツトーク


意味のない言葉を繰り返すだろう
向こうの見えない花束のよう


今何時か知ることより
時計の中を開けて見てみたいから


可笑しいほどいつもただすれ違うことがセオリー

学生のころ、非常なる共感をした曲。
その時々で変わっていく時間を知ることなんかには興味はなくて、それを動かしている仕組みを知りたかった。だけど誰も皆、正確な時間を知ることにばかり夢中みたいだった。それは表面的で先が見えなくて、中身がなかった。
だけどそれがルールだったから、ルールは守らなくてはいけなかった。
「時計の中身」は複雑すぎて、全てを理解することはできそうもなかった。
「分かりあえやしないってことだけを分かり合う」のが、ささいな、しかし最大の共感だった。