小沢健二の世界 構築にあたって…

どんな言葉を重ねたって、全部「今さら」だ。全部どこかで語り尽くされていることだろうし、そこに新たに何かを付け加えることなんて僕にはできそうもない。小沢健二はすでに伝説になっているから。
でも、そうと分かった上で、敢えて書いてみる。
誰にだって、自分の体験ということだけは語れるわけだし。いや、好きな音楽を語るってことは、自分のことを語るってことと同じことで、元々とても個人的なことなのだ。


小沢健二は特別な存在だった。今になってそれがよりはっきりと分かる。
フリッパーズ、「犬」、「ライフ」、「球体の奏でる音楽」、そしてシングル・・・。それぞれの時代に小沢はいつも僕の予想を裏切り、僕はいつも小沢に振り回された。そして、悔しいけど、その全てに影響を受けた。それは小沢健二の前進の軌跡で、僕の成長の軌跡でもあった。
人に影響を与えられる真のアーティストの常として、小沢健二は時代とリンクしていた。常に時代の少し先を進み、時代を動かし、そして動かされていた。
今改めて振り返ると、そのことがとてもよく見えてくる。


<出会い>

1990年代の始め頃。
まだサリン事件なんかによって最悪のジョークに変えられてしまう前の、世紀末の混沌と不安。
まだ宮台真司氏によって”終わりなき日常をまったり生きろ!”なんていうキャッチフレーズにまとめられてしまう前の漠然とした閉塞感。ニヒリズム
フリッパーズはそれを歌っていた。


世はバブル真っ盛り。
でも「バブル」とか「バブリー」なんて言葉は後の時代のもの。
その時代の価値観を唯一のものとして受け取るしかなかった僕ら中高生にとっては、トレンディードラマの中の生活が正しく、考えたり悩んだりすることは悪で、ついでに長髪とラッパズボンとフォークギターは何よりも恥ずべきものだった。
周りに溢れる意味のない明るさ。繰り返されるうわべだけの言葉。
でも悩み多き思春期の年頃。つのるイライラと破壊衝動。燃え盛るロック魂。
そんなとき、僕が最初に出会ったのは、ブルーハーツだった。
恥ずかしいことを、恥ずかしさも吹っ切れるほどにストレートに歌いきるという斬新な手法。(しかし、そうでもしないと何も言えないほどに、すべてが相対化され、ニヒリズムが充満していたのだ。)
そしてマーシーのギターのカッティング。
衝撃的だった。
カッコよかった。
しかし、ブルーハーツ、そしてパンクロックは、どうしても「ヤンキー文化圏」に属していた。
僕は違った。僕は常にどこか入っていけない部分を感じていた。僕のロック魂は他人には伝わりにくかった。しかし、ロック的不健康な生活だけは実践し、夜型の生活をしているうちに、いつのまにかただの「不健康な弱い人」になってしまっていた。


そんなときに出会ったのがフリッパーズギターだった。
反逆心に溢れたヤンキー達のためのパンクでも、体力の余っている人たちのためのヘビーメタルでもなく。変に頭がよくて、冷めていて、ひねくれていて、妙に老成していて、ヤな奴で、そのくせ子供で、弱いのに攻撃的な、そんな人のロック魂。
それをフリッパーズギターは歌っていた。

最初はそのことに気づかなかった。
初めて耳にしたのは「予備校ブギ」の主題歌としてだった。
洗練はされてるけど心に訴えてくるもののない曲だと思った。
「技術だけで創っているような、衝動の感じられないこんな音楽が自分にとって一番興味がない種類の音楽だ。」とまで思った。
しかし、アルバムを聴いてみる機会があった。
「カメラ・トーク」。
何曲かが耳に残った。
次第に言葉が耳に入ってきた。
そして時間をかけて、徐々にハマっていった。
そんな感じだった。
歌われていたのは、今まで自分の中にはない価値観だった。
むしろ嫌いなものだった。
しかし次第に、これでもいいのかもしれない、これはかっこいいのかもしれない、と思うようになった。


体力がないと分かっている分、言葉が武器になる。
「意味なんてどこにもない。」
そのニヒリズムを引き受け、本当の気持ちや共感への期待なんてものを捨て去り、無意味な言葉を無意味と知りつつ撒き散らして、でたらめなイメージを作って逃げ回る!
本当のことなんて口にしない。そんなのは最高にかっこ悪いことだから。


知識で完全武装。全部分かってる。敢えてやってるだけ。そうさラテンでレッツラブ!
その、微妙なセンス。伏線のはり方。逃げのうち方。裏のかき方。でもちょっと手がかりは残しとく。  
「分かる奴には分かる」その微妙なバランス感覚。
つまりは圧倒的な「自意識過剰」!
しかしネガティブなことや自分の心情をストレートに語ることがかっこ悪かったあの時代に、本当のことをかっこよく表現しようとしたら、そうやってバランスをとるしかなかったのだと思う。
自意識の世界では、冷めている方が勝ちだ。
知識を集め、それで武装し、自分と世界との距離を冷静にはかる。
だけど、そんなことをしているうちに、(圧倒的多数の)世間とはどうしようもなくズレていく。
フリッパーズって、洋楽のパクリらしいよ。」
…そんなこと今さら!そのウラのウラを微妙にずらした辺り、を狙ってるっていうのに!
だけどそんなことを言葉で説明するのはもっとカッコ悪い。分からない奴にはどうしたって分からない。
そんな苛立ちは、インタビューを読んでいて、すごくよく伝わった。
そして逃げ回っているうちに自分の撒き散らした嘘のイメージに取り囲まれて、ゆがんだ鏡の迷宮の中にはまり、それでも小心にも世間の反応をこっそりうかがって、言い訳しているうちにますます訳わかんなくなって…。
嗚呼、自意識過剰!! 
そしてもちろん、そんなところにいたく共感したのだった。

しかし、小沢健二はいつまでもそんなところには留まっていなかった。
そんな自意識の支えがなくても勝負できるだけの体力を、一作ごとに着実につけていった。
短い期間だったけれど、それは小沢健二が変わり、そして時代を変えていく過程でもあった。
それは一作ごとの極端な作風の変化として現れた。
変化がなかったら、僕は途中で離れていたかもしれない。
それはとてもスリリングな時間で、その過程を一緒に体験できたことを、僕は幸運だと思う。