中村一義

初めて音を聴いたとき、全く新しい音だと思った。
初めて聴く自分より下の世代のミュージシャンだったが、そんなことは全く関係ないことが分かった。
新しい世代の天才だ。
下の世代のほうが、優れた表現ができるのかもしれないと思った。

多分、我々の世代は中途半端なのだ。
遅れて生まれた世代のほうが、時代の混迷が深いのだろう。
また、中村一義は結構複雑な家庭環境でもあったらしい。
独りきりで「状況が裂いた部屋」にこもり、そしてその中で強力な音と言葉を産み出した。
闇が深いほど産み出す光も強い、っていうのは誰にでもできることではなくて強烈な才能を必要とするのだが、やはり必要条件ではある。
そして中村一義には才能があり、闇の中から生きていくための切実な音と言葉を産み出すことができたのだ。


小沢健二の「犬は吠えるがキャラバンは進む」と同じような力強さを感じた。
しかし光の強さは一気にそれを超えていた。
小沢健二のような音楽知識やテレやポーズや屈折が不足している分、非常に個人的な音だが、その分放つ光は直接的で強いのだと思う。

その後、アルバムを
「金字塔」
「太陽」
「ERA」
と出すにつれ、言葉も音も一般性を持っていったが、濃さは薄まらなかった。
すべての楽器を自分で演奏していた時代から、バンドサウンドへ。
自分の部屋で歌っていた時代から、コンサートへ。
非日常から日常へ。
普通の風景の中でも、光るものは光る。
徐々に売れるようになってきたが、もう少し売れてもいいとも思う。


「金字塔」

膨大な数の人みんなが天才であり、創造者なんで、
「今、全てが溢れちゃって」なんて言うなって。偶然は巡る!
(天才とは)

 

小さな灯り消すと、みんな、何見える?
遠い先の自分が、ほら、今日に手を振る。振る?


まだ、大きな無限大が、みんなを待ってる。
闇を抜けると、そこは、優雅な日々だ。
ただの平々凡々な日々に埋まる、
宝を探す僕が、今、ここにいる。
(ここにいる)

最も泣ける曲だ。
「小さな灯り」は郷愁を誘う。
小さな灯りを消すと、現実と夢の狭間で、様々なものが見えてくる。
たとえば意識と無意識が繋がったところで、人生は円を描いていて、未来の自分の姿だって夢と現実の中間くらいのリアリティーをもって見えてくる。


未来の選択肢は無限で、闇の中、その先にある光は夢だが、同時にそれは確実で、懐かしい未来でもある。
平凡な日々の中の宝っていうのは、小沢健二が「犬キャラ」の中で歌っているような、何気ない日常の中の消えることのない光だ。

例えばね、台本があって、もう全てが進むような。
堕落してるような時期も、そう、台本の一部だっていうような。
(いっせーのせっ!)

それは希望でもあって祈りでもあるのかもしれないけれど、いい時も悪い時も台本の一部だと。
そしてハッピーエンドが待っているんだろうと。
そう確信はできないんだろうけれど。
だから、「例えば」なんて保留をつけているんだけれど。
でも、ダウナーな時期の後に、すべてひっくるめて良かったと言えるような瞬間は確かにあって。
最終的な結末は分からないけれど、その瞬間には心から良かったと思えて、どんな時にも意味があるって思えて。
先のことは誰にも分からないけれど、その瞬間があればいいのだろうし、その瞬間を歌にすれば、歌の中でその瞬間は永遠に続く。

いつか、真実だと思ったものは、嘘に変わり、
今は、嘘だと思ったものが、真実に変わるんだ。


もし、神がいるのなら、夕飯でも一緒にして、
帰り際に言うんだ。「誰だって君だ」。


いつか、ああなろうと思ったものから、かけ離れて、
今は、僕でいれるようにって、本当に思うんだ。


ああ、こっからの風景が、こんなに大きいってことは、
知ってはいたけど、知らなかったんだ。
今は知ってるんだ。


困ったなぁ〜。毛嫌いは、どういう理由?
好きなものは多いほどいいのにぃ。
「手に入れた?その人生の地図」。
そんなもんは、飛んでっちゃったよ!


そう、愛に縁がないという人に限って、いつも愛が溢れる。
君の主人公は君だ。


いつかは、いつか…。
(いつか)

一回きりじゃ、絶対ない一生で、僕は、こんな奴になれたんだ。
(そこへゆけ)

さらっと歌う輪廻転生。
絶対的な自己肯定。
そんなことを歌うってことは自己否定も経てるからなんだろうが、巡ってきた最高の瞬間もまた真実で、それを封じ込められるのが歌だ。