「PET SOUNDS」(THE BEACH BOYS) 

なぜか初めてビーチボーイズのアルバムを買って聴いてみる。
素晴らしい。ポップさと濃さが同居している。
ビーチボーイズといえば、「サーフィンUSA」だと思っていたが。
こういう出会いがあるから素晴らしい。

1965年、ブライアン・ウィルソンは、ビートルズの「ラバーソウル」を聴いて刺激を受け、このアルバムを(ほとんど1人で)作ったという。
60年代後半というのはなんと刺激的な時代なのか。ビートルズボブ・ディランローリング・ストーンズやクラプトン達が互いに影響を与え合った時代。
60年代後半といえば、世界的に若者が増えた時代だ。世界はエネルギーに満ちていたのだろう。
そしてもうひとつの特徴がドラッグの流行した時代ということ。このアルバムもまた、ドラッグの助け(?)を借りて作られている。

僕はドラッグを肯定するものではないけれど、物を作る人にとってドラッグとは、ある共通した精神の変容状態を作り出し、心の奥底に触れて名作を作る契機をもたらすものなのだろう。
もちろん、薬をやっても何も生み出せない人もいるし、そんなものをやらなくても濃く深く素晴らしいものを作り出せる人もいる。でも、60年代の後半のこの文化は、ドラッグなしにはあり得なかったというのもまた1つの事実。って、何を当たり前の事を書いているのだ?

最近、日本の音楽の質が上がっていると思う。「ラブサイケデリコ」や「エムフロー」など、センスが良いと思うし、それがまた売れるというのもすごいことだと思う。
しかし、こうして深い音楽に出会ってしまうと、やはりそれらには何かが足りないと思えてしまう。
日本のそれらの音楽も確かに良いのだけれど、こうして僕に言葉を吐き出させる衝動までは与えてくれない。

日本で、僕に衝撃を与えてくれる濃い人としては、小沢健二中村一義浅井健一バンプオブチキン椎名林檎などが思い浮かぶ。誰もが、「普通じゃない」人だ。音楽やってなかったらちょっとなあ、という人だ。
多分才能っていうのは、別の何かの能力の欠如と同じ事で、作品はどうしても産み出さざるを得ないもので、それによって初めて欠如が埋め合わせられるようなものなんだろう。
表現っていうのはそういう切実なもので、そういう作品だけが、本当に人に衝撃を与え、心を深いところで動かすことができるのだろう。

だけど、1人の人間にそれほど多くのことはできないから、本当の名作なんて言うのは生涯で数作しか作れないんだろうと思う。
たとえば高橋尚子選手なんかも多くの人に感動を与えた人だけど、もうこれ以上人に何かを与えることはできないのではないかと思うし、ビーチボーイズもこれが最高傑作なんじゃないかと思っている。分からないけど。