夢と現実の間

夢と現実の間に位置する流動的な場に降り立ち、言葉と意味との結びつきをほどいて精神の柔軟性を取り戻す真摯な実践活動の成果。あるいはシュールレアリズム。あるいはゴミ。

諦めの境地に達していた。
もはや手遅れだった。
脳髄がきりきりと痛んだ。
俺の脳髄は、痛んだったんだった。
それでも、その痛みだけが、生きていることの証だと言えるのかもしれない。
そう考えている自分の思考の手応えさえもが曖昧模糊とし、深い霧の中にいるような街。そんなロンドンに行きたい。

そうつぶやく篠沢教授の専攻はフランス文学だったが、よく「ピラミッドの人ですよね。」とか、「エジプト?」などと聞かれるので、「Yes,I do.」と答えてしのいできたのだが、正直それでよかったのかどうか、近頃ではそれさえも確たる自信が持てず、すべては風の中に消えていこうとしていた五月の朝。
窓の外には小雨が煙り、霧のように見えたけれど、それは記憶の中だけにある風景なのか、それとも年々悪化の一途をたどる白内障のせいなのか。そのいずれであるのかはもはや年々悪化の一途をたどる老化現象による記憶の悪化の前にあってはただなすすべもなく、呆然と立ち尽くし、両腕をだらりと脇にたらし、舌をだらりとたらし、眼球をぎょろりとむき、嫌な臭いのする液体をだらだらとたらしながら、訳の分からないことをひたすら一日中うわごとのように繰り返す人をつい最近駅のホームで見かけたのだが、俺はできることなら係わり合いになりたくないので、そっとホームから突き落としたのだが、その先のことは良く分からなかった。

実際の話、
俺は大声を上げた。
実際の話俺が何をしたって言うんですか敬二さん。
いや刑事さん。
あんた一体どっちだ!?
どっちが本当の敬二さんなんだ?
そう言い終らないうちに俺は右腕をねじり上げられた。

ぎりぎりぎり・・・ぼきり。

ついにすさまじい音を立てて鼻をかんだ刑事の声はひどい鼻声で、どうやら熱もあるらしい。
体の節々が痛く、意識も朦朧として、いつからこんなことを続けているのかも次第にはっきりしなくなってきていた。
ただ2メートル四方の密室で、いつとも分からない昔から、こうして尋問をし、腕をねじり上げ、鼻をかみ、夢を見て、パリに憧れていたのかもしれなかった。
パリか、あのころはよく歌ったものだ。
俺は遠い昔を思い出そうとしてみたが、何も思い出せるようなものはないかのようであった。
そもそも、俺はいつからこうして駅に立ちつくしてぶつぶつとしゃべりつづけているのだろうか。
俺は一体何をしゃべっているのだろうか。
いや考えている俺はしゃべっている俺を、こうして遠くから見ているのだ。
では俺とは誰だ?

…というようなことをぶつぶつとひとりでしゃべりつづけていたのです、あのおじいさんは。
そうしたら急に誰かに突き飛ばされて線路に落ちてしまったから、慌てて僕は電車に飛び乗ったと言うわけなんです。
ええ、バイトに遅刻しそうでしたから。
ええ、今も急いでるんですよ。
はい、僕はこうして永遠に先を急いでいるわけなんです。
理由?
理由なんて分かりませんよ。
分かっていたら急ぎませんよ。
そうでしょう、敬二さん。
いや刑事さん。
あんた一体どっちだ?
とにかく僕はバイトがあるのでこれで失礼します。

そう言って走り出した敬二はホームに立っていた篠沢教授に激しくぶち当たり、教授はもんどりうって線路脇に転げ落ちた。
しまった、なんてことだ。
俺はなんてことをしてしまったんだ。
と一度は考えた篠沢教授だったが、もう少しよく考えてみるとただホームに立っていただけだった。
ぶつかってきたのは向こうの方だ。
なんだ、なにもしていないじゃないか。
私は大丈夫じゃないか。
何も問題はないじゃないか。
それにここだってそれほど悪くはない。

しかしそれはもう少し良く考えてみた方がよいのであって、その証拠に線路脇で頭から血が流れているし、電車はすぐそこまで迫っていた。
激しい警笛の音と運転手の驚いた顔。
叫び声。
それらが混ざり合い、ぐるぐるとまわった。

そして気づいたとき、僕はこの文章を書き始めていた。
いつとも分からない遠い昔から、いつとも分からない遠い先まで、僕はこうしてキーボードを叩いているのだけれども、それはあるいは一瞬の出来事であるのかもしれなかった。
時間と空間のあり方というのは一様ではないんだ。
そういったおじいちゃんの横顔は少しだけ寂しそうに見えました。

…こんなお便りもらっちゃいました。
水戸市にお住まいのペンネーム「悲しき受験生」さんから。
ふーん、なるほどね。
じゃあ、CM。