小沢健二復活
仕事で忙しさの真っ只中にいます。ここ数週間休んでいませんでした。今日は久々の休日でした。こんなことは僕の人生には滅多にありません。なんだか逆に楽しいです。普段より体調もいいです。
多分過剰に分泌している脳内麻薬のせいですが。
忙しさの中で、いろいろなことを考えました。
例えば、今回常に忙しく働く人達と一緒に仕事をする機会があって(彼らは年中まともな休みがないらしい…。)、「人生の中のオンとオフの切り替え方」とかについて考えさせられました。
僕はどっちかというとウィークデーでも毎日自分の時間が欲しい方で、毎日趣味の本とかホームページとかにもエネルギーを注ぎこんだりしてたんですが、そうすると朝は眠くて調子悪くて、仕事では不完全燃焼、エネルギーが余って趣味に時間を使う。という悪循環(?)になっていました。
僕は、このページで何度も書いている通り正反対の志向を持っていて、それを同時に追い求めてバランスを取りたいと思っていました。言葉と無意識、理性と感情、現実と夢…みたいな。だけどそれを同時に追求するのはアクセルとブレーキを同時に踏み込んでいるようなもので、あまり進まない割にはとても大変です。
だから、忙しくなる直前の日記でもこんなことを言ってます。
「いずれは意識と無意識の世界を統合したいという、途方もない願望がある。いや自分の中でだけど。 しかしそう言いながらいつまでも不安定なのは、きっとボーダーでうだうだしながらバランスを取ろうとしているからだろうと思う。いっそ反対の方向性を意識しながら、一方の世界に向かって突っ走っていけば。」(9月11日)
「そろそろ人格を束ねていかなくては。多方向へのベクトルはなくさずに、しかし「同時」に進むんじゃなく、時間で区切ってその時々では一方向に進もう。寝るときは寝る、起きるときは起きる、仕事するときは仕事、遊ぶときは遊ぶ、ってメリハリつけるってことだけど。」(9月17日)
そんなことを言っていたら、嫌でもそうせざるを得ない状況に追い込まれたわけです。忙しくなると「平日はオン、休日はオフ」くらいのスパンの切り替えになります。(休日ないけど…。)そして、こうなると結構調子よくなったりします。
休みなく突っ走るように働いている人たちは、もっと長いスパンで見ているんだろうなあと思いました。「数十年はオンの状態で働いて金を稼ぐ、そしてリタイアした後にオフの生活に入る」みたいな。
そして、その感覚ももちょっと分かりました。視点を高くして、リズムを大きく取れば、それもまたバランスです。いや、もっと大きく見れば「起きているときはオン、寝ているときはオフ」かもしれないし、「生きているときはオン、死んでいるとき(?)はオフ」かもしれません。「Life is very short」です。
そんなわけでやっと本題なんですが、巷にこういうニュースが流れています。
「小沢健二4年ぶりアルバム発売 」
「カローラ2にのって」「ラブリー」などの大ヒットで知られるオザケンこと歌手・小沢健二(33)が約4年ぶりに“復活”することが4日、分かった。現在アルバムを制作中で、来年早々にも発売される。
小沢は今年に入り音楽制作活動を再開。関係者によると、着々と曲が日本に届いているという。当初は年内にアルバムを発売する予定だったが、米中枢同時テロの影響を受けて年明けにずれこんだ。
祝!小沢健二復活!
まあ小沢健二のことだから、発売延期を繰り返した挙句に実際の発売は来年の秋以降、ということになるのでしょうが、まあそれにしても喜ばしいことであります。
しかし、よくよく考えてみれば、「中枢同時テロの影響を受けて」ずれこんだってのもおかしな話です。どんな影響だ!?こんなことでは何かちょっと事件があるたびにどんどんずれこんでいきます。やっぱり発売は再来年くらいになるかもしれません。
それはともかく。
小沢健二こそ、長いスパンでオン−オフを繰り返す人です。
「充電期間」という言葉は彼にこそふさわしい。小沢健二は、作品を作り出すために本当に「充電」が必要なんでしょう。それは音楽を聴くことだったり、本を読むことだったり、いろいろなことを感じることだったりするのでしょう。様々な「情報」あるいは「エネルギー」の蓄積。
そしてそれらの断片の結晶が作品になる。何も産み出さない時間があるからこそ、作り出された作品には消えない熱が込められています。闇が深いほど、発する光は輝きを増します。
オフの時の小沢健二は、きっとブラックホールのようにただ情報を吸いこむだけの役立たずでしょう。単なる一個の闇でしょう。人間嫌いのひきこもりでしょう。すみません言いすぎました。
だけど、そうじゃなければあれだけポジティブで力を持った作品は作り出せないでしょう。短期間にあれだけのエネルギーを発することはできないでしょう。
小沢健二は誠実な芸術家です。あるいは非常にプライドが高い人です。自分が本当に感じて、消化した物しか発表することができないのです。
小沢健二は「3年寝太郎」です。3年寝ていても、ある日起き出して、世界を変えるような大きなことをするのです。(4年経ってるけどね。)
彼がこの4年間で何を見たのか、何を感じたのか、そしてそれによって何を作り出したのか。例によって全く見当もつきません。新作の発表が待ち遠しいです。
僕も小沢健二とともに「オン」の状態になったまま、脳内麻薬を出しながら待つことにします。
祝!ニューブギ-バック~その大きな心
新しいブギ-バックを聴きました。
思った以上に違います。
何より声が違う。
そうきたか。
またまんまと予想を裏切られて(予想できなかったけど)、嬉しくなる。
期待を裏切らない。
予想を裏切るだろうという期待を、裏切らない。(おかしな表現だが。)
サウンドは濃く、クール。
声と歌い方もクールで乾いた感じだ。
体を鍛えて筋肉でもつけたんじゃないかな。
ささやくような歌い方だけど響く。
声に以前のような甘さ、べとべとした感じがない。
いい悪いは好みの別れるところだろうが、個人的にはとても良いと思う。
もういい歳なんだし(笑)。
男にも、より抵抗なく聴ける。
ある種分かりやすくなって、ファン層が広がるかもしれない。
誤解を生むことは少なくなるだろう。
これでミッチーとキャラがかぶる心配もなくなってきた。
こういう風に変わることができれば、小沢健二は消えない。
変化し続けられる者だけが生き残る。
そして消えない限り、新たな境地を追求していくことができる。
(商業ベースに乗らないポップミュージシャン(?)になどなんの価値もなく、境地の追求も何もないんだから。)
小沢健二は本当にこの先すごいことを成し遂げるかもしれない。
期待が膨らむ。
「eclectic」を買いに
2月26日夜、アルバムを買いに店に寄る。
ジャケットは覚えていた。
しかし、見当たらない。
まさか…。
売り切れ?
いや、そんなはずはない。
すぐに冷静に判断する。
よく探してみる。
3周くらいしてみる。
見つからない。
仕方ない、店員に聞こうとしたその時、隅の方にひっそりと並んでいるのが目に入った。
これだ!
それにしてもなんだこの扱いは?
新譜コーナーですらない。
ふざけるなヤ○ダ電器。意識が低すぎるぞ。
まあそれはともかく。
自宅に戻る。
かなりドキドキしながら、しかし平静を装い、丹念に夕刊を読んでみたりする。
僕はショートケーキではイチゴを最後に食べるタイプなのだ。
ちなみに中華丼ではウズラの卵を最後に食べるタイプなのだ。
なお、おでんでは(以下略)
自室に戻る。
そしておもむろに封を切る。
なんなら手が震えるくらいだ。
いつからこんなファンになったんだ俺は?
多分割と最近だ。
確か「球体~」は発売後しばらくしてから買った。
歌詞カードに目を通す。
あれ?歌詞がない。
と思ったらあった。
1ページかよ。
見にくいな。
そして少ないな。
やられた。
今回歌詞重視じゃないことが早くも分かる。
CDプレイヤーからバンプオブチキンの「ジュピター」を取り出す。
思えばわずか数日間限りのヘビーローテーションだった。
代わりに「eclectic」を入れる。
そしてプレイボタンを押すと、スピーカーからは数年ぶりの小沢健二の声が流れ出した。
(つづく)
「eclectic」を聴いて
やはりこれまでの音とは違う。
クールで乾いた印象はブギ-バックと変わらないが、とても濃い。
すぐには全ての情報が読み取れない。
一言で言うと夜の音だ。
音に魔法がかかっている。
この魔法にやられ僕は。
眠くなった。
…だめじゃん!?
いや、いい意味で。
あくまでもいい意味でだ。
軽いトランス状態とでも言おうか。
呪術的な空気だ。
妖しくエロティックだ。
―夜。退廃。酒。発酵。湿度。体温。フェティッシュ。倒錯。裏側…。
そんなイメージの断片。
これがニューヨークの空気か。
体温は感じるが、具体的な人の気配がしない。
風景の断片だけが闇の中に浮かぶ。
小沢健二は孤独の中にいたのだろうか。
闇の中で身を潜めていたのだろうか。
eclecticは、現実を切り取るような言葉に溢れたアルバムではなかった。
非現実的な夜のイメージの世界だった。
メロディーでもなかった。
リズムとサウンドだった。
声もまた楽器のひとつのようだ。
声は思っていたほど変わってはいなかった。
ネットでブギーバックを聴いた時に感じたほどではない。
クールに、囁くような歌い方にはなったけど、声質は当然ながら変わってない。
しかし、数年ぶりに世間に晒す顔は、弾けきっていた頃のものとは違う。
「犬…」の時の顔だ。
闇から出てきたばかりの顔だ。
まだ闇をまとっている。
自信と不安が同時にあるような。
極端さが共存している。
見るたびに印象が違う。
とても興味深い人だ。
そしてこのアルバムも、また聴きこむうちに印象が変わるのだろう。