戦争

仕事も「戦争」になり得る。
「経済戦争」というのも言葉通り「戦争」なのかもしれないと思う。
企業同士の戦い。敢えて闘う必要はないのかもしれないのに、わざと情報を隠し、緊迫した対立関係を作り出し、そのために膨大なエネルギーを消費する。
多分広い視野で全体の利益を考えたらそんなことはしないはずなのだから、これは戦争ゲームとして、皆が敢えてやっていることなんだろうと思う。
そして本当の戦争もまた、皆が敢えて行う、壮大なエネルギーと命の無駄遣いのゲームなのかもしれないと思う。

忙しさの中、脳内麻薬によってハイテンションになると、思考や映像が断片化して時間の流れがおかしくなり、デジャブを起こしながら、前世では戦争に行ったんじゃないかとかそんなことを考える。夢が混ざっているような感じで。僕は前世でもどこか外れの方の小隊にいて、こんな風にチームで動いていたんじゃないかとか思う。
チーム全体が、遠くの大きな目的を見ないで、まるでわざとのように目先の一番大変そうなところに突っ込んでいく感じ。個々の考えは違っていながら、集団のメンバーとしては全く違った行動をとることの不思議。
こうやって戦争も起こっていったんじゃないかと思ったりする。
多分、人が一番怖いのは、立ち止まって遠くを見てしまうことじゃないかと思う。立ち止まると、緩やかな停滞とその先には下降しかない。そしてその先にあるのは「死」だ。全ての不安の根源には死がある。
生とは薄氷の上に立っているようなもので、立ち止まると、常に足下にある死にとらわれる。だから、我々はそれに気づかないように、近くだけを見ながら無理にでも忙しく動き騒ごうとする。
そして、死の恐怖から逃れるために戦争をするって逆説も成り立つんだろう。
 
どんなにハイテンションでも、どんなにチームとしての一体感を感じていても、忙しさの最中にふとこんなことを考えてしまう自分にとって、すべての体験とはただ感じ、記述するためだけにあるのかもしれないと思う。