ビバカーナビ

カーナビのついた車に乗った。
便利だ。
最近のカーナビはこんなに進化していたのか。
検索のスピードは上がり、地図の精度も上がり、地図にはビルの形まで表示されるし、携帯電話と結びついてすごく便利なことになっている。
確かに車はITと結びついて大きな発展をする面白い分野だと思う。
今時珍しく夢がある分野だ。
あらゆる分野が完成に近づき、社会全体のムードが停滞している中で、車とITの結びつきには夢が溢れている。
だけどある意味で、夢はかなりの部分現実になっているという気もする。
今の問題は開発のスピードが早すぎるってことかもしれない。多分、情報の共有化とか知恵のネットワーク化とか業務の効率化はここ数年で驚くべき進化を遂げていて、だから「夢」はすぐに現実になってしまうんだろうと思う。素人などは夢を見る前に、現実が常に先を行ってしまう。
人は「こうだったらいいのに」と夢見ながら努力している状態が一番楽しいのかもしれない。「プロジェクトX」なんて、そんな夢と努力でいっぱいだ。
あまりにあっさりとかなってしまう夢は、逆に全てのことの重要性を消し去ってしまう。どれだけ努力したかとか、どれだけ時間をかけたかとかが、結局は重要性の基準なのだ。

もうひとつ思ったこと。
カーナビはとても大きな影響力を持っている。カーナビは「世界」を変えてしまう。
ドライブの性質を完全に変えてしまう。
カーナビが登場する前のドライブって、「人生」のメタファーだったんだと思う。先が分からない不安。正しいのか分からない道を、思考錯誤しながら、目的地を目指して進む。後から正しい道だったことが分かってほっとしたり、完全に間違っていたことが分かったり、予想していた道と違う道だったけど思わぬところから目的地に着いてしまったり。それは「不便」さではあったけど、楽しみでもあった。人生みたいなもんだった。
だけど、カーナビのついた車でのドライブは、「脳」のメタファーみたいだ。世界はバーチャルになる。カーナビの画面の地図の方が、本当の道より現実感があるんだ。 出発前に目的地を入力した時点で、仮想現実の中では目的地に着いている。あとは現実の世界で肉体と車がそれを後追いするだけだ。脳の立場は上がり、実際の運転は答えの出た問題を後からなぞっているだけみたいだ。肉体や現実や作業の価値は下落する。過程は手段に過ぎなくなる。便利だけどとてもつまらない。過程の意味がなくなり、ただの情報に変わる。
なんだか年寄りみたいだが。
要は、最近ギターを買ってしまったから、カーナビなど買えないのだ。それがちょっと悔しいのだ。カーナビ買えばよかったかな。何だかんだ言って、便利だし。