虹をつかむ男

【無意味】
男はついに虹をつかむ。

世界って虹からできてるよね。
軽く瞑想すると世界は流れ出すじゃん?
そしたらそれって虹じゃん?
きらきらと七色に光ってるじゃん?
だから世界って虹だよね。


いきなりそう話し掛けられたが、俺も急いでいたので頭から完全に無視した。
存在しないものとして取り扱った。
虹だぁ?
阿呆か?
俺はなおも先を急ぎながら、断片的に聞こえてきた言葉を反芻した。
世の中狂っている。
全くおかしな奴が多い。
世界が虹だと?
仮にそうだとしたら…。


…なるほど。
そういうことか。
次の瞬間、全ての疑問が氷解した。
目からウロコが剥がれ落ちた。
圧倒的な理解が俺を貫いた。
それは本当に圧倒的な瞬間だった。
その前と後では世界が違ってしまった。


光は白く、白は七色を含んでいた。
世界は流動的なのだった。
そして七色なのだった。
そうか。
そういうことか。
そういうことだったのか。
だからだったのか。
だから…。


…だからどうした?
俺は我に返った。
冷静になってみると別段どうということもなかった。
どうかしていた。
あっという間に冷めていた。
圧倒的な理解は気のせいだった。
疲れていたようだった。
過労だった。
働きすぎだった。
少し休んだ方がいいのだった。
半年の間、休日もなかった。
毎日15時間働いていた。
働きづめに働いていた。
もう冷静な判断力が失われていた。


ちょくちょく幻覚を見た。
目の前がぐるぐる回った。
風景が流れ出し、溶け合った。
それは虹だった。
世界は虹からできていた。
幻覚は虹だった。


だがそんなことはすぐ忘れた。
一瞬だけ幻覚の世界に陥り、そして現実に戻った。
幻覚を見たことは覚えていたが、内容は覚えていなかった。
夢のようなものだった。
俺には幻覚を見ている暇はなかった。
現実に戻らなくてはいけなかった。
働かなくてはいけなかった。
やることはいくらでもあった。
働いても働いても我が暮らしは楽にならなかった。
じっと手を見た。
じっと手を見ているとだんだん七色に見えてきた。
慌てて仕事に戻った。


仕事はCDの製造販売だった。
一日中CDに囲まれていた。
CDだらけの世界だった。
CDは七色に光っていた。
世界はやはり虹だった。


そういうことか。
そういうことだったのか。
そんな風にして世界はつながっている。
こんなことは以前から何度も気づいていたことだった。
簡単なことだったのだ。
このことに気づくために、この仕事をしていたのだ。
このことに気づくために、働きすぎていたのだ。
全ては最初から決められていた。


世界は幻に過ぎない。
見方を変えれば、すぐに虹になって溶け出すようなものだ。
瞬間ごとに形を作り出すものは、我々の意識だ。
意識だけが世界を作り出すのだ。
世界は幻だ。
世界は虹だ。


どうやらそれは最後の幻覚らしかった。
俺はゆっくりと崩れ落ちていた。
現実世界は夢のように見えた。
とてもゆっくりだった。
虹に囲まれ、虹のような世界の中で、俺は過労死するらしかった。
梱包途中のCDをつかみながら、俺はゆっくりと倒れた。


俺はついに虹をつかんだ。
世界をこの手の中につかんだのだった。


なお、つかんだCDは「さかな天国」だった。