ヤクルト

「小さすぎるという声にお答えして、ついにヤクルト3リットルボトル登場」裸の男が3リットルのヤクルトを抱えて飲む。ごっごっごっ・・・。が、飲みきれずに放り出す。「極端なんだ!大小の差が!」…吉田戦車氏の4コマ漫画の代表作です。(そうか?)

日本は極端なんです。
一度方向が決まると誰もが同じ方向に突っ走ります。同質性を求め、意見が違うことを許容しません。
「自国に誇りがない」ことが病的だとしたら、極端だからです。
反動が大きすぎたのです。
戦前の、「万世一系(?)の天皇は現人神」であり「日本は神の国」であるから「一億一心火の玉」となれば「神風が吹き」、必ず戦争に勝つという思想は、歴史偏重です。ていうか偏りすぎて、捏造が入ってます。「民族の誇り」なんてものを突き詰めると、このように国家宗教になり、妄想になり、ファシズムになっていくのです。
僕はそちらの方が恐ろしいと思います。

戦後、日本はその反省を生かして(もしくはアメリカにより)国家主義的な部分をすべて排除し、教科書に墨を塗って、経済的繁栄という現世利益を追求し、その結果としての今があります。日本には歴史や宗教や道徳がなくなり、精神的基盤がなくなりました。
僕はそのことを悲観していません。ある一つの強力な価値観とか共通した基盤、「規範」を求めるのは、ある種の弱さだと思っています。いや、思いたいというか。
それは、絶対的な規範に自分を合わせることは、ある意味で「楽」なことだからです。でも僕は人から価値観を押し付けられるのが嫌いなので、それは否定したいと思います。(でも好きと嫌いは紙一重なので本当は分からない。)

しかし、ゴールだと思っていたものがなかったことが分かり、閉塞感が漂い、信じるべきものもない今、日本には再び反動的な力が現れているように思います。
相対化は良いのですが、日本は一気にみんなが一方向に走り出すから怖いのです。
だから僕は行列も人ごみも渋滞も嫌いなのです。
せっかくパラパラの振りを覚えても、すぐに流行遅れになるから嫌なのです。(はい、もちろん覚えてませんが。)
中庸が一番です。バランスを取ることが何よりも大切だと思います。
右と左。光と影。昼と夜。現実と夢。秩序とカオス。ダークサイドとラークサイド。どちらか一方ではなく、その中間に道は無数にあります。
「言葉も制度も権力も歴史も(物理も数学も)根拠はなく、恣意的なもので、共通理解の枠の範囲内で作り出し、選び取るものである。」このことこそが、僕がこのサイトの中で何度も繰り返していることなのかもしれません。
ってまとめてしまうと非常につまらないですが。
現在の多様化への可能性失われて、結局一つに収束してしまうとつまらないと思います。
以上、筆談の答えでもあり、答えでもなし。

核となる感情がないと考えられないというのは、全くその通りだと思います。僕も何度か書いています。思考というものは、元々の性質として感情に由来するものであると思います。全ての表現がそうであるかもしれません。
いずれにしても、僕がそう見えないとしたら、「照れ」のせいでしょう。
同じ衝動がパンクにもなればポップスにもなるということと、きっと同じです。

反響しあって、言葉がどんどん増えていきます。