家電リサイクル法

いやー、いよいよ4月1日から施行されますね、家電リサイクル法
…って、ちっとも嬉しくない。
今度から市町村は、テレビや洗濯機や冷蔵庫とかの粗大ゴミをタダでは処分してくれないってやつですよ。
消費者が自分で金を払って処分しろってことですよ。
堺屋太一氏が言っているとおり、「大量生産・大量消費・大量廃棄」の時代は終わりですね。
1万円でテレビが買えても、すぐに壊れたら直すのに1万円かかり、捨てるのにも1万円かかる時代ってことです。
もう不法投棄するしかありませんね。嘘です。いいものを買って、なおしながら長く使えってことですね。
これは安いアジア製品を締め出すための日本政府の手口でしょうか?…っていうのは変な陰謀史観につながる考え方で、これは最終的には全て「ユダヤの陰謀」とか言っとけば全て片付いちゃうような考え方なのでここでは採用しませんので、結局、これは歴史の流れとしか言いようがありません。

ところで、昔読んだドラえもんに、のび太が「もしもボックス」で「お金が要らない世界」をリクエストした話がありました。
その世界で、のび太がプラモデルを買ったら、逆にお金をくれて、喜び勇んで家に帰ったら、ママに「こんなにもらって来てどうするの?」と怒られ、見ると狭い家はお金で溢れ返っていて、仕方なくお金を捨てようとしたら警官に見つかって、罰としてさらに山のようなお金を貰って、のび太大弱り。という話です。

当時、無邪気な小学生だった僕は、「広大な土地とか海を買って、その購入代金も含めて全部置いておけばいいじゃん」とか、「お金を発行しなけりゃいいじゃん」とか、「資源の無駄じゃん」とか、「お金のない世界って、あるじゃん」とか、そういった夢のある毒を吐いたものですが、お金をどこにも捨てられない「ウザさ」の感覚だけは、妙に強烈に印象に残っていました。

そしてそのウザい感覚こそ、今現在のこの感覚と同じものです。
これからは、テレビを買ったら同時に1万円分の処理という重さを受け取るのと同じです。
家にはゴミのようなものが溢れ返り、処分することもままならず、ウザくて仕方ありません。
さすがは天才・藤子F不二夫です。未来を予言していたのです。
この感覚は、悪夢の一つとして、人類に共通したものなのかもしれません。
閉塞感。
カオスの増大。
エントロピーの増大の感覚。
…単に便秘でもしていたのでしょうか。