教科書

世界史の勉強をしてみたいなあ。と思いつづけてはや5年が過ぎようとしている今日この頃。

教科書問題は、政治・外交の問題としては確かに大問題。
国としての思想を表明しているものですから。
「外交的配慮」と「民族の誇り」みたいなもんを、どうやってバランスとっていくかという話ですね。
でも、ということは、その前提に「歴史は恣意的なものである」ということがあるわけですね。歴史は「日本書紀」の時代から権力者が作るものであって、その時の権力者の都合が良いように書かれるものであって、別の切り口から見れば全く別の歴史年表だって作れてしまうような流動的なものなんでしょう。
今の子供たちは、そのことが分かる分、僕らの頃より良いのかもしれません。
いや、最初から基盤が不安定なのは良くないのかな。

ところで、僕が教科書をあんまり読まなかったのは、当時、伝記とか日本の歴史とかを読み耽る嫌なガキだったせいかもしれませんね。教科書はたいしたことが書いてなくてつまらない、とか思ってましたから。
でも、中学校の歴史の授業なんて、太平洋戦争辺りはもう時間がなかったせいか、「いけーって突っ込んでいって、そんで負けたんですね。」くらいの説明しかなかったような気がします。「おいおいこれで終わりかよ!?」と強く思ったことを覚えています。

教科書問題と言えば、理科の教科書が問題ですね。
原子の周りを電子が回ってる図って、あれ嘘なんですよね。
量子論的な正しいミクロの世界では、電子は波のようなものであり、同時に粒子のようなものであり、存在の仕方は確率による、っていうようなものなんですよね、確か。
今、中高生に教えている物理学は数百年前の知識であって、その法則が成り立つのはミクロやマクロの世界を除外した、限定された範囲内だけなんですよね。
でも、それを教えても、世界の基盤が不安定になりますね。