規制と責任

確かに、政治とか宗教とかの問題を、公(?)の場で語るのには、ちょっと抵抗感が残りますね。でもその「なんかやばい」っていう雰囲気が一番やばくて、それが一番強力な規制だという気もします。
日本人を縛っているのは、いつの世もこうした目に見えない微妙なルールなのですね。
「自主規制」とか。「放送コード」とか。暗黙のルールとか。
本当に嫌です。
日本の狂気の原因は、組織のトップにじゃなくて、責任を取らない立場にある人間の作り出す(「上が言ったから」)こういった「プチ権力」のほうにあるんじゃないでしょうか。(印象)
中途半端に頭の良い(つまり最もタチの悪い)責任を取らないプチ権力と、それに追随して一気につっぱしる民衆、という構図は常にあるような気がして、それが問題です。ていうか嫌いです。

戦中は天皇万歳で、戦後はアメリカと自由万歳!となったのは、転向して強いものに従うってことで、そういう意味で一貫してます。
そして責任は取らない。
自分は犠牲者で、悪いのは全て軍部。
本当の犠牲者も数多くいるでしょうが、中にはそうじゃない人もいるはず。
アメリカコンプレックスも、反転すればすぐに反米感情になったりもするのでしょう。
なんかもっと責任を持とうよ、と思います。

日本は常に集団の感情で動いていて、それに飲み込まれるのが怖いから、僕はこうして分析して言葉にしているのかもしれません。
もしくは逆に、脳を酷使して麻痺させて集団の感情の中に身を委ねても、それはそれで楽になるのですが。いずれにしても過剰な脳と意識。

意見は偏るからやばいのであって、いろいろな意見があって、それが共存しあえるような場であれば、何も問題ないのではないでしょうか。
それに第一僕らは精神薄弱の妄想狂ですし、これらの書き込みも全てフィクションですしね。<最悪の責任逃れ。