一貫

「どちらか一方ではなく、その中間に道は無数にあります。」

「言葉も制度も権力も歴史も(物理も数学も)根拠はなく、恣意的なもので、共通理解の枠の範囲内で作り出し、選び取るものである。」

…でもやっぱり、人は常にダイスを転がしつづけるような、そんな完全な自由には耐えきれなくて、規範を求めたり、占いに頼ったり、偶然に頼ったり、それを突き詰めて「神」に頼ったり、会社人間になったり、スケジュールを詰め込んで時間に縛られたりと、自ら進んで何かの奴隷になろうとするのでしょう。
全てを自分だけの責任だと思うことは大変なことだから、そうやって自分以外の何かのせいにするのでしょう。

でも、感じられる自由は不自由の中にしかなくて、理想状態は過程における想像の中にしかないとしたら、全ての選択肢を前にした宙吊り状態に留まることは単純につまらないことであるので、その後で自ら没入する対象を選ぶというか、参加するゲームを選ぶというか、人生の暇つぶしをする対象を選ぶことは、やはり必要なことなのでしょう。
「のりつつしらけ、しらけつつのる」
結局、学生時代に納得した森毅氏の言葉に戻ってきます。
そして結論は、せっかく選ぶのであれば、楽しく、センスのある対象を選びましょうということです。

それにしても、僕はこのサイト中で一貫しています。
言い換えれば、同じようなことばっかり言っています。
よく分かってないことは、何度も堂々巡りして考えてしまうのです。
多分元となる感情は、「優柔不断な自分の正当化」であって、「なんでみんなそんなにさくさく決められんの!?」という憤りでしょう。

そんなわけで、今日は出張です。
お酒飲んだり温泉入ったり大忙しです。