人類の進歩と調和

出張帰りです。
電車に乗ったり酒を飲んだり温泉に入ったりで、全く大忙しでした。<目的を見失っている。

小林よしのり氏が世間から「ファシスト」扱いされているのなら、つまり、そのようにバランスが取られているのなら、なにも問題はないのです。
僕との類似点も、ないことはないのでしょう。
多分僕と小林氏は状況を同じように見ていて、ただバランスの取り方というか、重点の置き方が違うだけなのでしょう。だから、両者が矛盾なく調和することはあるでしょう。

次に「ガラスの天井」について考えてみましょう。
完全な自由の中、選択肢は無限にあるはずなのに、生まれついての条件や過去の選択や偶然の積み重ねの結果として、気づいたら選択肢は非常に限られています。
その、過去の因果関係というか、ビリヤードの軌跡というか、織目というか、のあまりの複雑さから、人は絶対的な存在などを感じてしまったりもしますが、そういったカオス的な法則はトランプや麻雀などの場にも平気で現れてきたりもするわけです。
そして、与えられた状況を受け入れて、その中で最善を尽くしていくしかない、というのは麻雀も人生も全く同じことです。(「俺は麻雀から人生を学んだ」阿佐田徹也 より)(嘘)

それであっても十分に複雑なゲームです。
というより、「ガラスの天井」というのは、ゲームの主要なルールなのでしょう。
それがなかったら、どんなゲームもすぐに飽きてしまいます。
役満は何度も上がれたらちっとも面白くないし、サッカーも50点くらいずつ取れるスポーツだったら、アナウンサーも興奮して「ゴールゴールゴールゴールゴーーーーール!!」などと叫ぶこともないし、叫んでるうちに2〜3点くらい入っているのでどのゴールに対するコールなのか分からなくなり、いやもしかしたら叫んだ回数分だけ全部点数が入っているのか?というような誤解も与えかねない非常に分かりにくい実況になってしまう可能性だってあるわけです。

結論としては、久しぶりに麻雀がやりたくなったなあということと、サッカーの実況は、そうは言ってもやっぱりうるさいんじゃないの、ということです。