小沢健二 インタビューの世界(3)

■『月刊カドカワ』(1995年2月)

(「「LIFE」の華やかでハッピーな生活って、かつての自分の失われた青春時代の反動じゃないかとかって思わない?」)
「失われた青春時代を取り戻すにしては、いまだに人付き合い悪いぞ、やっぱ。・・・・・実際、今の僕がそんなに華々しいわけじゃないし。・・・僕の生活の中の一瞬の感じをパッと一個、その要素を掴まえてんのかもしれない。それをもっと華々しくしてるんだとは思う。その意味では全然無根拠ってわけでもなくて。」

(ライブについて)
「ライヴではね、音の玉がポンポン見えてんのね。・・・・・抽象的な全体の揺れっつうか、グルーヴみたいのをすごい感じてるわけ。」

「僕のコンサートって、すごく横の波を感じるんだけど、そういう抽象的なことがね、すごくよく見えてくる。」

「時代性なんて、だいたいせせこましいl話でさ、べつにいいものはいつ聴いたっていいんだよ!」

「クラスに必ず一人いるような変わり者がすごい僕の音楽のこと好きだったりしてさ、まぁ昔だったら宝島少女みたいなの?・・・・・そんなクラスのいじけた一人めがけて音楽やることなんて簡単なんだけど、今は僕はそういうことじゃないからさ、全然。」

(次の方向性について)
「わかんない、先のことは全然。あ、でも例えば、愛欲地獄みたいなのどう?・・・・・・官能的ではありたい!官能方面はありかも。・・・・・うん、エロな一枚はありそう!」


■同誌、吉本ばなな氏との対談

 吉本氏は深いところで小沢健二を理解していて、これ以上ないくらいの解説になっている。
 当時、小沢健二がまだきちんと評価されていない状況の中で、彼女の言葉は正しく響いた。
 僕もかなり理解を助けられ、クリアになった。


吉本「メロディの中にすごい麻薬みたいなものがある。それを上手に繰り返すでしょ。」

吉本「(ライブで)『天使たちのシーン』では涙が出たもの。情景が浮かんでね。祈りっていうか、そういう感じがした。」

吉本「たとえばある夕方、すごく気分がよくて、こんな夕方があるなら生きててよかった、みたいな時の状況を音楽にしたような、そういうものが何か入ってるんですよね。」
小沢「すごいなあ。」

吉本「小沢さんの曲は一回真髄をつかんだら、あとは全部わかるっていう気はしますよね。いつ、どこでわかるかはそれぞれだろうけど、わかる人は一回わかったら、もうずっとわかったままだと思う。」
小沢「勘がいい人がいると、助かります(笑)」

小沢「たとえば『ラブリー』とかを僕が本気出してやっててすごい盛り上がってる時って、おもしろい、楽しいっていうのと同じくらいのレベルで、猛烈に悲しいんですよ。だけど、うれしい部分だけしか見えなくてむかつくっていうのもあるんでしょうね。・・・・・見えない部分が深いからちゃんと見えてるところがいいんじゃんって思うんだけど・・・。どうしようもないんだけどね、勘が悪い人はしょうがない。」
吉本「・・・・・悲しいっていうか深いっていうか、人生ってこういう感じするよなっていう感じなんですよ。・・・・・・詞の内容がどうっていうんじゃなくて、曲がもう深いっていうか・・・。すごい情報が入ってるんですよ。」

吉本「小沢さんの詩の中に書いていることは”快楽”なんだよね。快楽にもいろいろあるけど、人間が生きていくうえで生存の基本的な快楽。居る場所があって、その中で自分が快適に過ごすみたいな・・・・・そういう秘密が書いてある。それって基本的にはみんなが知っていることで、それは親切な人が親切なことを書いているよっていう話じゃないの。」
小沢「言ってることが、すごくクリアーにわかります。全然ぼけてるところがない。」