小沢健二 インタビューの世界(2)

○『WHAT'S IN?』1993年10月 (インタビュー)

「(フリッパーズは)外部の人が入ってきちゃうと変になっちゃうような、完璧にふたりだけの構図というものがあった。密室の双子状態(笑)ですな。」

フリッパーズがやっていたことは、あのふたりでしかできなかったことだった。でも、やっぱりどこか繋がってますよ。全然違うわけではない。ただし、10年くらい経てば、そのことがわかるような気がするけど、今はよくわからない。」

「(「犬~」は)ありのままを出したレコードではあるね。そうした方がいいと思うし。フリッパーズの時もまっすぐだったけどね。隠していたものが見えちゃったところがあったし。」

「(「カメラ・トーク」に関して、)そうか、俺って、昔から正直な奴だったんだ(笑)。ただ、今は自分自身が行間から滲み出ちゃうのを、押さえきれない。どうしようもなく滲み出ちゃう。『カメラ・トーク』の時、僕は初めて日本語で歌詞を書いたわけだけど、自分で驚きながら歌詞を書いてる時があった。つまり、自分が滲み出ちゃったんだよね。今はその時以上に、しかもそういう“照れ”の部分を、技術的にも超えて書くことができる。」

「理屈だけだと、やっぱり大事なことが抜け落ちるという気がする。」

情報をたくさん持ってて、感情ではなく、理性で自分をコントロールするのが偉いというような、そういう意識は強かったと思う。

「自分にモロ近いなと思ったのは、ユーミンかな。ファーストからサードまでのね。」

 

○『音楽と人』 1993年12月 (インタビュー)

「僕はいつも半年に一回くらい衝撃が。・・・・・その衝撃にはね、僕の心の中が耐ショック構造になっててね、すげえショックを受けてて、これは超いい! これだ!! って思うんだけど、その瞬間はしゃぐとバカになるから、これからはこれだ! とか思うとくやしいから、それを半年くらいあたためるっていうのがあるんですよ(笑)」

「半年の間にその周辺のレコードを買って地固めをするんですね。そんで自分の中でどのくらい好きかっていうのを見極めてって。で、ある時、やったあ! って作品にしちゃって、作品にしたら僕はもうあとは知らない」

「真面目ぶったレコードも欲しいじゃん。やっぱし真面目チックな。そう思ってやると『犬は吠えるがキャラバンは進む』なんて出来てくるわけですが。でも、どうせこうじゃん、僕なんか。ラジオとか出てても、いっくら真面目なレコードを作ろうがなんかこういうしゃべり方だし、こういう適当ノリだから」

「だからそれがキャラクターっちゃキャラクターで『どっちがほんとなんですかあ?』とか言われちゃったりするんだけど。しかもねえ、いいかげん僕今25歳なんだ。25歳っていうとこれはもうトシちゃんの歳(※)なんですよ」
(※注:鴨川つばめ著「マカロニほうれん荘」(名作)のキャラクター)

「25歳のうちにインタヴューで使わなきゃって思ってたんだけど(笑)。解説すると、トシちゃんって、『トシちゃん25歳、チョー』とか『トシちゃん感激!』とかやってんじゃん。でも、あの人はほんとは大脳の周りを小脳が回ってて、小脳がある地点に来ると突然、七味とうがらし先生つってすごい人気童話作家になるんですよ・・・・・で、『あ、これ俺だあ!』って思って」

「大脳の周りをこう小脳が回ってて、ピピピーンっ! て来て気狂いじみたこういう『犬は吠えるがキャラバンは進む』なんていうの作っちゃうわけですよ。こないだなんて山伏をやってらっしゃる方が『この音楽は15年ぶりにピピン! ってキた』つってインタヴューしに来たんですけど(笑)」

「小脳がある位置にピッタリ来てる時以外の時間がすごい普通だと思うんだ、音楽に対して。『これは僕のネタになる』とかそういう考え方はあんまりしないで聴いてるから。絶対に音楽業界にいるやつの中でも普通だと思うよ。だから、何が何でもイギリスの音楽! ってならないのもそれがあんだと思うよ。もうめっちゃくちゃなもん好きになっちゃうもん。教えたらファンの人が混乱しちゃうような」

「七味とうがらし先生になってる時の感じはちょっと違うな。ただ、例えば七味とうがらし先生も何冊も童話を出すわけで、その中で言えば、これはわりと優しくて真剣っぽい前向きなレコード。あっさりした言い方だとは思うけど、それ以上にほじくることはないわけ。だいたい七味とうがらし先生の期間は何が起こるかわかんないんだ。だからそこで何があるのかを説明してくださいって言われたら困るのね」

「僕、レコーディングしてる時とか、特に歌詞を書いてる時には“恋はいイエイエ”みたいな曲書いてても、すんごく痩せちゃうの。で、真面目っぽいもの書いててもまったく同じなんだ。そういうこと。ものすげー痩せんの。ていうか、ものとか食えないの。普段はすんごい食うんだ。“水道管”って呼ばれるくらいで食ったらすぐ出るんだ。でも七味とうがらし先生の時はね、入りもしないし出もしないんだ。でね、やっぱり目とかちょっとおかしいよ、友達とかに言わすと」

>27日間のたまりきったものというのは、七味とうがらし先生の3日間がなくても処理されてるんですか。
「うーん……みそぎの3日はねえ、わかんない。でもそのみそぎの3日がなくてもいいんだったら俺は音楽とか作んないんじゃないかなあという気はするけど」

(熱いロック系を「鼻毛」系と表現して。)
「『炎のランナー』っぽいつうんですか? 感動が波のように押し寄せるっつうんですか? そういう鼻毛状態に突入してて。で、まあ、僕だと伸ばしても鼻毛けっこうサラサラ系でいいかなあっていうやつで。だから伸ばさない人にはほんと届かないと思うんだ。別にいいの! けど、ちょっとでも伸ばしちゃおうっかなあって思いがある人だったら、ちょっとでも鼻毛がのぞいてたら僕はこう、ぎゅっと引っぱってあげて、鼻の奥の方にジーンと痛みを与えてあげるレコードなんていうのが今回の『犬は~』なんだけど」

「まあ、そんなにガチガチにならずにっていうもんじゃん、非常に申し訳ないけど、きっと。そんななんでもかんでも理詰めでさ、まあ、固くなるなよって、僕は以前の僕の肩を叩いてたわけだし。だから『救われたかったんだ』なんて気持ちないっつうの、ほんっとに!」

「だからさ、今の僕には、『音楽なんか記号だ』的なもの、“ゴーイング・ゼロ”的なものはやめましょう、っていう気持ちだけがあるんじゃないの」

 
○『音楽と人』 1994年2月 (インタビュー)

「僕の“天使たちのシーン”と、Xの『アート・オブ・ライフ』と、長渕剛さんの♪生きろ~生きろ~生きろ生きろ生きまくれ~♪ってのが、たまたま今年は『長さ』を競ったらしいんですけど。僕はなんと2位!!」
>いばってどうする。

「来年はすごい人数でワーッとやるヤツをやったりとかして。そうすると手のひらを返したように『あの頃の素朴な歌声も忘れないでほしい』みたいな話がくるわけだけど(笑)。そういう風に、どんどんとことん堕落したって感じの方向に行きたいですね。歌詞も。『あーあ、小沢くんの1枚目はホントにすごい良かったんだけど』って言われるように、大いなる堕落をしたいなと思うんですけど」

「最近またつくづく思うのは、80年代にけっこうフランスの現代思想とか入ってきてさあ。僕よりちょっと上の世代で、その時に洗礼を受けた人たちって多くて。僕も高校1年の時とか、そういうのも読んだりしてたわけ。だけど、僕はアメリカのものが全然好きだったんだけど。とにかく、そういう時代を引きずってる人たちが今は何となくちょっと偉くなったりしてんのかもしれないけどさぁ。そういう人たちの言うような……記号の中を自由に泳ぐ子供たちとか、そういうことを言ってるようなバカな超ボケナスには全然わかんないようになってくだろうなって気だけはしてるんですけどね」

「わかんないけど。僕はそうじゃないことができるらしいから。だから、そういう風にして知ったかぶりの達観オヤジみたいなヤツから常に嫌われたいなって気はします(笑)」