うなずき男

【無意味な笑い?】
そして無意味。

桜吹雪の舞い散る中を、しだれ柳の揺らめく中を、うなずき男が今日も行く。
うなずき男心得の条、「ひどく、悲しく、かしましく。」
誰が呼んだかうなずき男。関東平野の晒し者。


「春っていいよね。」
「ああ、いいよねえ。」
「気分が明るくなるよね。」
「そうだよね。」
「春爛漫って言うしね。」
「そうそう。」
「春も木から落ちるって言うしね。」
「そうかもねえ。」
「いや、桜の花びらがね、枝から落ちていく様子を春にたとえたと。華やかな桜も、終わりがあるからこそ美しいと。そういう意味でね。」
「ああ、なるほどね。」
「たとえ話としてね。」
「そういうことね。」
「嘘だけどね。」
「まあね。」
「駄洒落なんだけどね。」
「そうだろうね。」


実際の所、ケンジは全く人の話を聞いてはいなかった。
こんな無責任な男は他にいないのだった。
平成の元祖無責任男とはケンジのことであった。
関東平野のうなずき男とはケンジその人なのであった。


リズムだけで良いのだろうか。
会話のテンポが全てなのだろうか。
否。断じて否である。
決してそんなことがあってはいけないのである。
そんなことは許されないのである。
人間と人間とが向かい合い、そこに対話が生まれる。
それは魂と魂がぶつかり合い、火花を散らす戦いの場であるはずだった。
エネルギーの交流を、自らの全存在を賭けて行うべきなのだった。
それが生きることなのだった。
生きることをないがしろにして、それでいいはずがないのだった。
生きることによって必然的に生じる責任を、果たすべきなのであった。


まあそんなことはともかくとして、ケンジは今日もうなずいていた。
「ふんふん。あーはぁ。おー。りありー?ふぁっちゅあねーむ?」


出鱈目であった。
口からでまかせも甚だしいのであった。
ケンジという男は全くつかみ所がなかった。
方向性が定まっていなかった。
頭の中に霧が立ち込めていた。
五里霧中であった。
そして夢中であった。
夢中でうなずいていた。
一心不乱だった。
腐乱していた。
脳の一部が既に腐乱状態であった。
そしてフランス語であった。
相手はフランス人であった。


いつもそうであった。
ギリシャ語やタガログ語など、ケンジは転校する度に全く知らない言葉に囲まれた。
それらの言葉は意味不明であった。
だから取り急ぎうなずいておいた。
それもやむを得ないと言えた。
そういう意味では可哀想な男なのであった。


幼い頃より、ケンジは周囲の話が全く理解できなかった。
自らの身を守る為に、ケンジにできることといえば、それはただうなずくことのみであった。
聞き役に徹すること。
それこそが、生き残るために身に付けた、ただ一つの武器なのであった。


ケンジの両親はイタリア人であった。
だが母国語を使うことはなかった。
そして外国かぶれであった。
生き方がやぶれかぶれであった。
いつも身振り手振りであった。
出鱈目であった。
ケンジ・アントニウス・アレクサンドロにとっても、世界は出鱈目であった。
ケンジは、満足に言葉がしゃべれないままに成長したのだった。


でもまあそんなことはどうでもいいことであった。
個人的な問題であった。
あまりプライベートなところには立ち入らない方がいいのだった。
世の中にはいろいろな人がいるということに過ぎなかった。
いいじゃんべつに、うなずいてれば。という話だった。
キャラ立ってるじゃん。ということだった。
しかしながら、ちょっとキャラは弱かった。
うなずいてりゃいいってもんじゃないだろうと。
悩みはないのかと。
葛藤はないのかと。
そこにドラマはないのかということなのだった。


特になかった。
別段困ったことは生じなかった。
身振り手振りでだいたいのことは通じた。
細かいことは良く分からなかったが、それで別段困ったことは生じなかった。
言葉によって世界を複雑にしてしまうことなく、単純なことをややこしくしてしまうことなく、世界はありのままで、開かれていた。


世界は単純だった。
世界はそのままで、充分美しかった。
きらきらと輝いていた。
ただそこにそのまま存在しているだけで、ありのままで世界は充分美しかった。
言葉などいらなかった。
ただ存在そのものが祝福されていた。
うなずく度に、世界はきらきらと光った。
会話のリズムとテンポが世界に音楽をもたらした。
それは祝福であった。


もっともそれは幻覚であった。
やはり脳の一部が腐乱していたために起こった幻覚であった。
脳は腐ってドロドロいっていた。
灰色の脳味噌は潰れて溶けていた。

当然それも幻覚であった。
きらきらもドロドロも同じように幻覚であった。
イタリアというのも妄想だった。
実際のところ、ケンジの両親は江戸っ子だった。
イタリアはおろか、本州から出たこともないのだった。
一番遠くまで行ったのが、新婚旅行の際の広島だった。
しかも雨だったらしい。
根っからの雨男・雨女の組み合わせであった。
ケンジが産まれた日も当然雨だった。
江戸川区産婦人科だった。
窓から見える土砂降りが印象的な日だった。


ケンジは霧男だった。
世にも珍しい怪奇!霧男なのだった。
霧と共に現れ、霧と共に去って行った。
いつでも霧と共にいた。
霧のように存在感がなく、曖昧模糊として、人の話にうなずくばかりであった。
何より常に頭の中に霧がかかっていた。
時たまイタリアがどうしたこうしたと言い出していた。
きらきらドロドロ言っていた。
全て幻覚であった。


それがケンジという男であった。
それ以上でもそれ以下でもない、等身大のケンジがそれであった。
それ以外に、ケンジを語る言葉は存在しないのだった。


そんなケンジが、今朝死んだ。
関東平野のうなずき男、平成の元祖無責任男、怪奇!霧男であるところのケンジ・アントニウス・アレクサンドロこと本名田中健二(26)は、27日未明、首都高速環状線内回り霞ヶ関付近を徒歩で走行中、大型トラックに轢かれて即死した。
霧の中で、うなずきながら死んだのだった。
 

俺:「と、このような画期的な死亡記事を書いてみました。
 これこそが新時代のニュースの形です。
 事実とフィクションの融合。
 現実と妄想の統合。
 芸術の現実への浸出。
 これこそが21世紀の全く新しいエンターテイメントです。
 新たな時代の幕開けなのです。
 閉塞した現状の壁を打ち破る夢のかけらなのです。
 デスク!
 どうですか!
 どうですかコレ!!」


デスク:「ん?ボツ。」


俺はデスクに毒霧を吹きかけた。