浮雲男

【笑い?】
エレカシの名曲をモチーフに無意味な文章を書こうとしたら、なぜか感動的な話に。

 ぷかりぷかりと浮雲男。
 煙草の煙をくゆらせて、ぷかりぷかりと雲になる。
 今日もぷかーり、明日もぷかり。
 吐き出す煙が雲になる。
 起きてはぷかり。
 食後にぷかり。
 食事の合間もぷかーり、ぷかり。
 寝ても覚めてもぷかぷかり。
 日がな一日ぷかぷかぷかり。
 あれに見えるは浮雲男。
 今日も明日も雲になる。


 そして癌になった。

 全身に転移していると宣告された。
 愕然とした。
 目の前が真っ暗になった。
 何故この俺が。
 心当たりがなかった。
 前世の報いだろうか。カルマだろうか。
 そうであるとしか考えようがなかった。
 胸が苦しくなった。


 これほどまで自分が生に執着しているとは思わなかった。
 長生きしたいなどと思ってはいなかった。夢があるわけでもなかった。
 毎日がその日暮らしみたいなものだった。特に楽しみがあるわけでもなかった。
 どうしてもやりたいことが残っているわけでもなかった。
 老後のことを考えると、早死にした方がいいとまで思っていた。


 しかし、それでもまだ当分生きているものだと思っていた。
 心の準備などできていなかった。
 高い所から下を見下ろしたような気分になった。
 クラクラして気分が悪くなった。
 崖っぷちに立たされた気分だった。
 事実そうだった。


 怒りと悲しみと焦りとが同時に沸き起こった。
 それらが真っ赤に溶けた鉄の塊のようになって、胸の中に流れ込んできた。
 胸がかきむしられるようだった。
 我知らず涙が溢れていた。


 今まで何もいいことがなかった。
 これから先も大していい事はないだろうと思ってはいた。
 しかし、それでもどこかで期待していた。
 今ここで死ぬのであれば、自分が何のために生まれてきたのか分からなかった。
 この世界に生まれて、何の意味があったのだろうか。何か生きた痕跡を残せたのだろうか。


 何もなかった。全くの無意味であった。
 そうであるならば、最初から生まれてこなければ良かったのだった。
 何のために生まれてきたのだろうか。
 何故俺だけがこんな目にあわなくてはいけないのだろうか。
 その疑問が、ぶつけどころのない怒りが、繰返し何度も湧き上がった。
 目に映る全てを憎んだ。
 自分と関係なくこの世に存在している全てを憎んだ。


 それから数ヶ月が過ぎた。
 俺はホスピスにいた。
 ここが最後の場所になるはずだった。
 治る見込みはなかった。
 しかし心は落ち着いていた。
 痛みはなかった。薬で抑えられていた。


 天気の好い日には車椅子で庭に出た。
 春の日差しは穏やかだった。
 一日中、飽きることなく雲を眺めた。
 そういえば遥か昔、子供の頃、雲になりたいと思っていたことを思い出した。
 今頃になってやっと思い出した。
 そうだ、俺は雲になりたかったのだ。
 ずっと忘れていた。
 俺は、飽きず、雲を眺めて過ごした。


 ぷかりぷかりと浮雲男。
 煙草の煙をくゆらせて、ぷかりぷかりと雲になる。
 今日もぷかーり、明日もぷかり。
 吐き出す煙が雲になる。
 起きてはぷかり。
 食後にぷかり。
 食事の合間もぷかーり、ぷかり。
 寝ても覚めてもぷかぷかり。
 日がな一日ぷかぷかぷかり。
 あれに見えるは浮雲男。
 明日とうとう雲になる。