受験英語?

【プチ狂気な笑い】
自己宣伝ばかりうまくて中身のない授業をしていた、当時の予備校教師へのレクイエム

こんばんは。受験英語の時間です。
皆様の夜間飛行のナビゲーターは、私、城みちるです。
無論冗談です。

さあ、冗談はそれくらいにして、今日の勉強は、「関係代名詞、Thatの便利な用法とその落とし穴」だね。
さてその辺はいかがなものか、と言ったところですが、今日のところはいずれにしても一番よく出るところですから、皆さんも決して聞き逃すことがないよう、ここを聞くか聞かないかでその後の人生までもが左右されてしまうという、そういったいわば人生の大きな岐路に立たされているのだとの自覚を大いに持ってもらって、そうして緊張することのないよう、むしろ肩の力を抜いて、大いに笑いながら、楽しく勉強していってもらいたいと思いますけれども、私の授業は、そのようにできていますし、カリキュラムとポイントが非常によく研究され尽くされておりますから、私の授業だけ押さえておけば、受験はまずばっちりだねと、これだけは言えると思います。
なぜか。
なぜ私はすごいのかと言う話ですけれども、これはまず第一に、過去の問題をすべて研究し尽くしておりますからね。
過去の膨大な量に上る受験英語の、そのすべては私の頭の中に叩き込まれておるわけでありますし、その結果、こうしたポイントを押さえた話ができるわけなんですが、私の一言一言はそのすべての過去の裏づけに基づいた言葉なわけでありますし、しかもそのエッセンスがそのまま点数に結びつくということは、これはもう過去の受験生諸君がいわば実証しているわけだね。
つまり私の言葉を信じておればまず間違いはないわけですね。
毎年毎年、受かった受験生は、私の言葉を全て暗記しております。
こうしたラジオ放送は全てこれはもう録音し、テープが擦り切れるほど何回も何回も、繰り返し聞くわけですね。
徹底的に暗記するんだ。
そしてそれを今度は繰り返し繰り返し、声に出して読んでみる。
全て書いてみる。
こうして五感の全てを使って、私の言葉を自分のものにするんです。
そうしたことをした者だけが、来年の春に栄光をつかむんであるということだけは私今ここで断言しておきたいと思うんですね。

さあちょっと話がわき道にそれてしまいましたが、さてそれじゃあ早速テキストの内容の方に入っていきたいと思いますけれども、このテキストがまた私の経験と勘と研究の全てが凝縮された、受験生のバイブルとも言うべき、これはちょっと私自分で言いますけれども、それほどの出来上がりでありますから、視覚的にもかなり研究と試行錯誤が繰り返されて、完成しておりますから、これはもう私を信じて、ついてきてもらうしかないわけですけれども、さて、今日はテキスト10ページの上から3行目、右から5つ目の方から順に見ていきたいと思いますけれども、これはもう予習済みのことと思いますので、簡単に流していきたいと思いますけれども、ここの答えがThatですね。
今回のテーマが早速的中いたしております。
今回のテーマ、これはもうずばりThatなわけですが、それがもうこうして的中しているわけでありますね。
こう言ったところにも要点を外さない的確な工夫がちりばめられているんだね。
こういうところを見てほしいわけなんですが、これ全て、私が作っております。
すべては私が作り上げているわけでありますが、これは受験も同じだね。
作り上げていくものなのでありますからね。
双方向、インタラクティブなわけでありまして、双方の力によって物事は決まっていくのだと言うことをここで改めていっておきたいわけなんです。

次もThatです。
これは前後の、ここのところのつながりを見ればなんとなく分かってくる。
口にしてみてもスムーズな感じですからね。
ここでwhichはちょっととても入らない。

まあいずれそれは分かってくると思うんですが、私は今はそんなに細かいことは言わない。
言ってもどうせ分からないと思ってますからね。
基本的にはあんたたちを信用してないからね。
教師ってもんは大体そんなもんですからね。
そりゃあそうだ。
大体、何年も昔からね、あんた達、私がいったい何年やってると思ってんですか。
昔から何回同じこと言ってると思ってんだってことですな。
何度も何度も。
要点を押さえた的確なこと言ったって、一度じゃどうせ分かりゃしないんだ。
それが分かっちまってるんだな、私には。
それで、くどくどと言わないんです。

あるいは教師失格かもしれません。
ちょっと長いことやりすぎたのかもしれん。
昔はこうじゃなかった。
少しは信じとった。
でも、もう私も若くはないんです。
無駄なことをしている時間は、私には残されちゃおらんのです。
大体こうして夜中にラジオを聞いて勉強しようなんて、そんなやつらにろくなもんはおらんのです。
金も使わずに大学に受かろうなんぞ、そんな虫の良い話があるか。
私はこう言っちまいたいんだな。
本気なら、もっと頭を使うもんです。
金も使え。

俺だってちょっと前までは、看板教師だったんだ。
高級取って、それでもそれも当然なほどの受講生が集まっていた。
俺のノウハウはすごかった。
誰もやらなかったんだ。
私だけだったんです。
私は本気だった。
私は信じてた。
私は信じていたし、ノウハウを惜しげもなく全て公開した。
まさか、まさかその後インターネットが登場するとは思わなかった。

まあいい。
まあ、そんなことはどうでもいいのです。
このラジオ講座の報酬が安かろうと、他の若い奴らに馬鹿にされようと、そんなことはいいんだ。
許せないのは真剣味の足りない諸君の心構えです。

自分でやれ。
人の言うことを聞くな。
自分の責任で、自分と向き合って、真剣にやるもんだ。
諸君らには真剣味がたりんのです。
自分の問題だということを根本的に分かってはおらんのです。

私を信じて今までついてきてくれた諸君には、少々気の毒な話かもしれん。
まさかこんな形で、まさかこんな形で裏切られるとは、恐らく諸君も思っても見なかったのかもしれません。
悪い冗談だと思われるかもしれん。
だが残念ながらこれが真実なのであります。

君達はどうせ受かりはしない。
それだけははっきりさせておきたい。
こうして放送半ばで番組を降りる私が、最後に言えるのはそれだけです。
もうひとつ言えるのは、受験などやめちまえ。ってことだ。
苦労して大学に入ったからって、何があるわけじゃない。
つまらぬトラウマを抱えて、一生受験に関わって、挙句このざまです。
ろくなことじゃないわけです。
私は今非常に残念であります。
諸君らをこうして道半ばで放り出すような形に、心ならずもなってしまった事態に対して、私個人的には、非常に、なんと言うかやるせない気分でおります。
責任すら、あるいは感じるべきなのではないかと思ったりするということさえあるわけなんであります。
しかし、一方、これでよかったのではないか、結果的にこうすることが一番よかったのではないかとも思っております。
あるいは言わせていただくのなら、わずかばかりの自負心と、達成感も感じております。
私がここまでやってきたことは、少なくとも全くの無駄ではなかったのではないか。
諸君らの心にわずかではあっても何かを残せたのではないか。
そういう気持ちがますます強くなっております。
これは決して錯覚などではありません。
私の中には確信に近いものがあるわけでありますし、私がそう思っているんだから事実そうなのであります。
私はこの場所を去ります。
しかし、諸君らが行き詰まりを感じたときなどは、いつでもここに帰ってきてください。
誰もいませんが、帰って来てみてください。
そして、孤独を味わってください。
挫折の味を噛み締めてください。
そんなことはもう私には無関係なわけであります。
私は今非常に大きな満足感を感じております。
むしろこう、サッパリとした爽快感すら感じております。
私は良くやりました。
ありがとうございました。
では、また来年。