カフェ

無理やり独りでカフェにいる。
時間がおしたので夕方だ。予定では、午後の数時間をカフェでのんびり。本を読みつつノートパソコンを広げ、久々にブログの更新を。と思っていたのだが、部屋を片付けたりしているうちに盛り上がってきて家を出るのが遅くなり、その後も買い物が長引いたりしている間に18時前になってしまった。
意地でコーヒーとシフォンケーキを頼む。そしてケーキを一気食い。コーヒーもすぐに飲み干す。そういえば昼飯を食っていなかった。おかわりをしようかとしばらく悩む。面倒だからやめる。…実にどうでもいい一日だ。

だけど、保坂和志の本に書いてあった。何もしていなくて長く感じる時間こそが<人生の素顔>ではないかと。動物だって空腹のとき以外は何もしていないのであって、充実しておらず暇をもてあましているような時間こそが本来ではないかと。
考えてみると、暇をもてあましたのは久しぶりだ。だが、常に忙しく充実しているのは不自然なのかもしれない。意識してバランスを取っていきたい。落差に耐えられるようあり続けたい。歳を取るとだんだんそのような落差に耐えるのが辛くなってくるのだけれども。
時間があったって別に急に自分と向き合ったりするわけではないし、哲学的な思索が始まるというわけでもない。むしろ、本当になにもなくて、本当に退屈だからこそバランスになるのだろう。
最近の無為な時間は、そのようにして自分の中で納得された。

またすぐに忙しい生活になるだろう。そう考えると、早くも暇な時間が恋しくなってくる。やれやれ。本当にないものねだりもはなはだしく、これからもこの2つの感情の間を揺れ動きながら生きていくのだろう。暇な時が来るのを楽しみに、次の忙しさをまた乗り切ろう…。
そうこうしているうちにカフェは夕方からバーに変わるらしく、照明は落とされて居心地の悪いことこの上ない。追い立てられるように家に帰ったのだった。