「ヘルタースケルター」(岡崎京子)

この作品を書いた後、岡崎氏は交通事故にあった。その後、リハビリを続けておられるようだが、もう作品は書かないのではないかと思う。これが「遺作」になるのではないかと思う。


これが書かれたのは1996年だった。
加速するイメージと欲望。快楽の追求。
すでに限界は来ていた。
欲望し、快楽を感じる肉体の感覚には限りがある。
華やかな光に隠されていた闇・汚れは、溢れだしそうになっている。
そのぎりぎりの感覚。
「リバーズエッジ」の描く「終わらない日常」と、本作の描く「過剰に作り出された非日常」。
これらの作品は、時代に打ち込まれた一つの楔(くさび)だった。


岡崎氏の書く「もうすでに選んでしまった」という感覚。
他人と深く通じ合ってしまうような感覚。
それは、確実に彼女自身が深いものを捉えている(あるいは捉えられている)ところからくる感覚だ。


バブルは崩壊しても、変わらず、終わることなく続いていた我々の暮らし。残っていた、時代の空気。
もう、使い古されて汚いものになっていたそれらを、彼女は白日の元に晒し、そして時代を断ち切った。
それは時代を動かす力の一つで、それにはたくさんのエネルギーが必要だから、岡崎氏は1度、死ななくてはならなかった。少なくとも、作家として。
そして、これらいくつもの楔によって、いつの間にか「日常」は終わっていたのかもしれない。
そして、既に時代が変わっていたことを、我々は10年も経ってから知ることになる。
だから、死なずにすむのだ。

(☆☆☆☆)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)