「スパイダーマン2」

アクションと恋愛、エンターテイメントと深さのバランスが取れていて良い。
楽しめて、かつ泣ける。


主人公は、自分の生活を犠牲にし、彼女には理解されず、マスコミからも叩かれる。だから、葛藤がある。しかし、結局は自分の信じる正義のために生きることを選び取る。選ばれた者は、責任を回避することはできないからだ。
悩み、選び取るという過程は感動的だ。「キャプテン翼」で言うと、コミックス8巻辺りでガラスのエース・三杉君が心臓病であることを知り、葛藤した翼君だったがついに・・・って逆に分かりにくいたとえはやめておくが。


「力を持つ者には責任がある」とか、「ヒーローは時に、自己を犠牲にしなくてはいけない。だから人々は誇りを持って生きていられる」とか、崇高なものへの憧れのようなものが、テーマとして流れている。
子供たちや一般の人々は、ヒーローに憧れている。ヒーローには、報酬としてただ、大衆からの支持だけがある。


これも、時代の求めるテーマなのだろうか。
このテーマは「ピンポン」とも通じる。「ヒーロー見参!」と、窪塚(ペコ)は現れた。神だか運命だかから選ばれた者は、ヒーローとして、それに見合った努力をし、役割を果たさなくてはいけないのだ。
以前にここで書いた「苔のように生きる」ということにも通じる。「目立たなくても、注目されなくても誉められなくても、世の中を良くする方向に見えない努力をして、誠実に生きることは素晴らしい」ということ。そして、それはどんな役割を担っていたとしても、全ての人がそうなのだ。
10年前だったらきっと馬鹿にされるテーマだが、今は報われない努力をしている人が多いのだ。だから共感されるのだ。


ヒーローとは、犠牲者のことだ。最も強く、同時に最も弱い者。皆の前で、誰よりも重いものを背負いながら、それに耐えて見せるもの。その二重性を背負った者のことだ。
だから、大衆からの支持を受ける。ヒーローが耐えているのだから、自分も耐えられるのだ。キリストは史上最大のヒーローだ。
しかし、このようなヒロイズムとか自己犠牲とかの美学は、「戦争」と親しいものである、という怖さがある。戦争とは、「自分を犠牲にして、より大きいもののために戦う」ということだからだ。
「より大きい」と言っても、そんなものは「国」とか「民族」とかいうフィクションのことで、結局は「権力者のために戦う」ということに過ぎないわけだけれども、「身を捧げる」ことには、あらがいがたい陶酔があって、無条件に感動してしまう要素があるのだから、ぜひその辺りに注意してこの映画を観て頂きたい。・・・って、「スパイダーマン2」の感想がそれですか?

(☆☆☆☆☆)

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