屋久島で考えた(3)

以前、屋久島に行った。
ここには日本で唯一の照葉樹の原生林があり、そのため世界遺産に指定されている。


さて、そんな森を歩いていて考えた。
森は循環している。
この島は花崗岩でできていて、土壌がとてもやせているから、まずは岩の上に苔が生え、水分や土壌を確保する。その上に他の植物が育っていく。小さい植物から、やがて大きい植物に。「切株更新」と呼ばれる、杉の巨大な切り株の上に新たな杉が育つという現象も起こる。
示唆的だと思う。


我々の文明もまた、循環し、螺旋を描きながら進んでいるのではないか?
今、廃墟の写真が流行っている。
苔による癒しが流行っている。
それは、文明というひとつの森が、循環し、死の時期を迎えているからではないか。だから、無意識のうちに我々はこれらに心惹かれるのではないか。


巨大に育ちすぎたビルは崩壊して廃墟になる。
土地は枯れ、エネルギーは使い果たされて、廃墟は砂漠となる。
かつての文明と同じ運命をたどる。
その時、苔は土地に水を保持し、エネルギーを保持して、後に新たな森ができるのを助ける役割を持っている。
これからの世代は、苔の役割を果たさなくてはいけないのではないか。派手に花開くこともないまま、しかしネットワークを張り巡らし、後の時代のための礎となるという役割を。
それは地味な割にしんどい役割ではあるけれど、それが時代の巡り合わせなのだ。
だから、無意識に、苔を見て癒されているのだ。我々は、苔に共感しているのである。


そんなことは単なる発想の飛躍かもしれないが、山道を歩いていると脳内物質が過剰に出てきて、クライマーズハイになって様々な考えが浮かぶのだった。