屋久島で考えた(2)

以前、屋久島に行ったことがある。
有名な縄文杉を見るためには、往復で10時間近く歩く必要がある。
まあ誰でも歩いているし、ツアーガイドの人などは毎日往復しているのだろうから、たいしたことはないのだが、それでもちょっとした覚悟と気合は必要になる。


さて、そんな屋久杉の森を歩きながら考えた。
自然のままの森では、木は不規則に生え、樹齢数千年の老木から、芽を出したばかりの木まで、様々な種類の植物が、からまり合いながら、激しい生存競争を繰り広げていた。
その様子はエネルギーに満ちていて、ある意味では不気味で、しかし美しかった。
全ての生物は、激しく争いながら、共に生きていた。


老木を見ていると、どれもが曲がりくねり、他の植物と争いながら、からまりあいながら、生きていた。その方が長く生き残るのだろうか。樹齢数千年という木は、どれもが激しくうねっている。それはエネルギーの流れそのもののように見え、岡本太郎の作品のようで美しかった。
まっすぐな木は、樹皮も規則的できれいだが、老木まで育っているものはないようだった。そういう木は、意外ともろくて途中で倒れてしまうのかもしれない。あるいは、途中で曲がってしまうのかもしれない。
いずれにしても、示唆的である。人間も、他人と競争しつつ、多少曲がりくねった方が、強くしなやかに生き残れるということかもしれなかった。


…だが、あるいは、きれいな木は、途中で人に切られてしまうのかもしれなかった。
そうすると、曲がりくねって使い物にならない駄目木だけが長生きするということだろうか。そういえば、会社でも役に立たない人ほど妙にしぶとく、なかなか辞めないものである。
まあそんなわけで、いずれにしても示唆的ではあるのだった。