「イノセンス」(押井守)

正直、退屈だし、分かりにくいところがある。
世界観は前作の「攻殻機動隊」で示されたものの延長線である。ただ、先には進んでいる。
絵のクオリティはやはりすごいが、CGが若干多すぎるか?とも思う。でも、あの光の質感はCGでなければ出せない、と思い返す。
前作ほどのインパクトはないものの、観る価値は十分にあると感じた。


(世界観について)
「電脳」を使って情報を正しく共有し、「義体」を使って身体機能を飛躍的に高める。
現在世界が実際に進んでいる方向性である。
しかし、アクセスできる情報量や、身体的特徴も人格の一部であるとしたら、それらを人工的に変えてしまった後の意識は「模擬人格」かもしれないという不安が残る。
また、電脳は、ハッキングされることによって、偽の記憶さえ作り出される。
自他の区別も、人とアンドロイドの区別も、とても曖昧になる。
その時、自分を他と区別するものとして最後に残るものが、「ゴースト」と呼ばれる、自己意識であり、精神であり、魂である。


しかし、このゴーストも、完全な情報量=「神」に到達していないゆえのノイズにすぎないのではないかという不安、ニヒリズムとともに物語がある。
意識が完全に無である「人形」も、完全な認識を持つ「神」も、自然と完全に調和している「動物」も、どれもが同じ側に属していて、ただ不完全な認識を持つ「人間」だけが、違っているのではないか。人間だけが、不完全な認識による不完全な世界に住んでいるのではないか。
人は、コンピュータによる記憶の外部化から、自然を超えようと試みた。しかし、科学が自然を計算可能にしたように、人間も案外簡単に計算することが可能なのではないか?案外単純な作りになっていて、人形と変わらないのではないか?
「ゴースト」がただの不完全さであり、ゆがみにすぎないとしたら、人間とはできそこないの人形にすぎないのではないか?
そういう不安が常に流れている。


しかし、結果としてこの物語は「魂」の存在を明確に認めている。
そして、「魂と進化」をテーマとしている。


物語の最後、アンドロイドをリアルにするために、さらわれた子供たちの「ゴースト」が「ダビング」されていたことが分かる。そして、ダビングされると、元の生体は死ぬ。
これは、「肉体が魂の乗り物」だという世界観を示している。
また、アンドロイドにされる前の子供たちが計画して、アンドロイドをわざと暴れさせていたことが分かる。そうすれば、世間が気づくかもしれないと思った、と。
それに対し、主人公のバトーは言う。殺される者のことは考えなかったのか。いや、殺される人間ではなく、殺されるアンドロイドのことは考えなかったのか、と。
もう、肉体は乗り物なのだ。「魂/意識/精神」こそが大切なのだ。


肉体はアンドロイドとなり、記憶は外部化される。ハッキングされて、改ざんされるかもしれない。
しかし、肉体を完全に失っても、広大なネットワークの中に、個人の意識は残ることができる。
そして、その意識だけが、人間を他と区別するものだ。


物語のクライマックスで、「少佐」草薙素子の人格はネットワークを通して現れた。
前作で肉体を捨て、ネットの海に飛び込んだ草薙素子は、「生きていた」。
その時、全ての情報は手に入る。それはネットの中に生まれた「神」に近い。
それは、肉体を乗り物と捉えた、魂の新たな進化の方向性だ。

孤独に歩め
悪をなさず 求めるところは少なく
林の中の像のように


そして、繰り返されるこの格言のように、「魂」を高めること、「精神的」に高く生きることが、重要なことなのだ。

(☆☆☆☆)

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