しりとりエッセイ6:「ライトエッセイ」

ライトエッセイが、書けない。
エッセイというと、心象風景だとか、ある日の出来事なんかを取りとめもなく書くようなイメージがあるが、そんなものが書けない。
どうしても、「それはなぜなのか?」とか、「どういうことなのか?」とか、「つまりどういうことか?」などと追求していってしまう。


妙に理屈っぽいのである。
理屈が好きで、抽象的なことが好きで、要点を捉えるのが好きである。
そしてとりとめもないおしゃべりなどが嫌いである。
「つまり要点はなんなのだ?」と思ってしまう。
思うが、そんなことを言うと人間関係にひびが入るので、言わない。
言わないが、その代わりに聞いてもいない。
要点以外はよく聞いていない。話に要点がないと、最初から全く何も聞いていない。
駄目である。


かつて経験した受験英語でも、「余計な修飾語は読み飛ばせ」とか「動詞が分からなくても前置詞でイメージをつかめ」とか「重要なパラグラフのみ読め」とかいう必勝法が性に合っていた。要点をつかめば、英文は読めるのだ。
だから英単語などはほとんど覚えていない。
それでも受験英語には絶対の自信があったので、自分はある意味天才じゃなかろうかと思っていた。

しかし、今になって英語を覚えようとすると、単語がちっとも覚えられない。単語は要点じゃないだろうと思っているので、覚えられない。そうすると、ちっとも上達しない。
そのうちに、英語は人生の要点じゃないだろう、と思ってやる気を失うので、ますます上達しない。
駄目である。


人生にはそれほど重要なことばかりはないので、とりとめのないことを無視していると、物事に興味が持ちづらくて駄目である。
ライトエッセイすら書けなくて駄目なのである。


結局反省になってしまった。
この文章も結局、重要なことも要点もないとりとめもないものになってしまっているのだが、そのわりに内容が重い。全くライトでない。

そんなわけで、どうしても、ライトエッセイが書けないのである。