しりとりエッセイ4:「エロ」

「エロス」とはギリシア神話における愛の神の名であり、理想的なものへの愛を意味する。


それはともかく、エロスといえばエロビデオでありエロ本な訳であるが(<結局そうか)、なぜこれらはエロいのだろうか?…ところで「エロい」という言葉はここ二十年ほど耳にしていないので、流行ったらいいと思うし、すでに巷で流行の兆しもある。

それはともかく、エロいものは、隠されているからこそエロいのである。隠微で猥雑でいかがわしいからエロいのである。
開かれてさわやかでおしゃれなものは全くエロくない。

性の解放などしていると、解放している時には快感があるが、その後はそれらは当たり前の日常になってしまい、感動も快感もなにもなくなってしまう。
日常的なものは、エロくないのである。
見てはいけないものだったり、隠されていて、普通じゃないものだからこそ、エロいのである。


エロいとは普通、官能的なものに対して言うが、元々は最初に言ったように精神的理想のことである。
人間にとっては元々、どちらも同じような「快感」なのである。

理想も隠されていなければいけないのだ。
いや、逆に今ここにないものだからこそ理想なのだ。
「ありがたい」などというが、これも「有り難い」からこそ、つまり滅多にないからこそありがたいのである。

禁止され、隠され、普通じゃないものがありがたいものであり、それに触れることが、快感なのだ。
禁止しておいて、そのタブーを犯すからこそ快感なのだ。


それは、そこに落差があるからだ。
流れに変化が生じるからだ。

淡々と流れる時間は退屈だが、締め切りに追われたり間に合ってほっとしたりしてる時間はスリリングで快感だ。

トロッコ列車に乗って平坦な道を走ってたら退屈だが、登っておいて一気に落ちたりしたらそれはジェットコースターで、快感だ。

お金をこつこつと貯めているのは退屈だが、一気に豪遊して使ってしまうのは快感だ。

定量が流れている水は流れているように見えないが、ダムなんかで貯めてから放出すると豪快で、見てると快感である。

つまり、日常の流れをせき止め、落差を作ってから放出することが快感なのである。
「ためて、出すのが気持ちいい」ということである。


 …なんだ結局エロか。