バランス

自分の内面へと深く潜っていく。
自我を超えて無意識の領域へ。
闇とカオスの柔らかい泥沼へ深く沈潜する。
そしてそこで見たものを意識化する。
言葉にする。

そこで足場を固め、世界へ向かう。
方向性や役割を一番深いところで確かめ、そしてその上で、社会での役割や職業やコミュニティを選択するのだ。


しかし、内面世界はあまりに深く、どこまでも拡がっている。
言葉は届かず、足場は崩れる。
個人の井戸は地下水脈に繋がっているのだ。
水は汲み尽くせない。

それはユングが言っている世界だ。
トランスパーソナル心理学が言っている世界だ。
老子が言えば「道」。
言葉と意識を超えた世界。
A・ミンデルは「明晰夢」と言い、「気づき」を言う。
言葉以前のかすかな感覚、気配を読み取る。
奥深い世界を見る。


夢の中では繋がっている。
言葉や意識ではない。
全体を捉える。
新たな世界は開かれる。


それは現実という一つの「夢」からの覚醒。
小さな悟り。
瞑想やヨガによって得られるものとも同じ。
その目的は、個人的な向上。


個人の向上は、社会の向上と調和していなければいけない。
全体の向上を阻害する個の向上であってはいけない。
社会という日常の中で、個は修業をし、向上する。


それは、「社会の歯車」として働くことだ。
荷物の分け前を背負うこと。
神輿を担ぐこと。
その場所で、個人は確かに世界の重みの一部を背負っている。
それはカルマを返すことだ。
荷を背負うことは生きることだ。


電圧(E)は抵抗(R)のあるところに生じる。
魂という電流(I)は流れていても、重さという抵抗がなければ、物質という電圧は生じない。
「魂」という軽いものは、物質という重さをまとって修業し、成長する。

しかし、ただ闇雲に重さを背負えば良いというものではなく、やはり社会の役に立つ方向に努力する方が望ましいだろう。
人は意味や目的を考えてしまうものだ。
正しい方向性とはなんだろう。
生の意味とは、人の役割とはなんだろう。


生命の役割とは、「エントロピーの増加」である。
世界はエントロピーの増加に向かっている。
秩序から無秩序へと向かっている。
生から死へと向かっている。
ミルクは水の中に拡がって戻らず、宇宙はビックバン以来膨張を続けている。
鉄は錆び、人も錆びる。


生命とはその流れに逆行して秩序を作り出すものであり、エントロピーを減少させるものである。
しかし、自分の秩序を維持するために、周囲の無秩序を増やすものである。
小奇麗な部屋を維持するために膨大なゴミを棄てる。
涼しい部屋にするために、膨大なエアコンの廃熱を出す。
木を切り倒し、石炭や石油まで燃やし尽くす。
かつて文明の栄えた森は―エジプト、メソポタミアイラク)、中国など―今は砂漠である。
生命は地球を「消費」する。


しかしそれは悲観すべきことでなく、自己否定すべきことでない。
そういう風にできているのだとすれば、それが役割なのだろう。
「秩序を作る為に、より大きな無秩序を作り出す者。」
エントロピーを増大させることが、役割なのだろう。
ただ、自分たちが生き残るためには、資源の消費量のバランスを取らなくてはいけないということだ。


エントロピーを増加させるとは、様々な「制約」をなくすことだ。
それはつまり、コミュニケーションだ。
携帯電話やメールは時間や距離をなくす。
情報を流通させあい、そして究極的には誰もが同じ情報を持つ(?)。
それは自他の区別をなくす試み。
そして世界は均質化する。


コミュニケーションはとても「脳」的だ。
脳は自らが衰えないために、自己維持を図るために、自らのうちに電気信号を流そうとする。
インターネットや携帯と同じだ。
流れている情報は問わない。
目的は問わない。
どうしようもない情報であっても、線は張り巡らされ、電波は飛び交う。
神経回路はつながり、そして世界は均質化する。
目的は「交換」することにある。
熱を伝え合うことにある。


そうであれば、第一に、そこで熱を損なわないことが大切になる。
そのために必要なのは、一つにはコミュニケーション能力。
社交性、人付き合い、流れを壊さないノリ。

もう一つは要点を捉える能力。
情報を壊さない知性。
なるべく自己の主張を加えず、客観的な事実を多く伝える。
受験勉強的知性。
それはスムーズで、つるつるしていて、デジタルで、ノイズを含まない方が効率が良い。
いずれにしても、熱を損なわずに効率よく伝えることが大切になる。


第二には、熱を産みだして伝えること。
コミュニケーションは世界を均質化するものだ。
しかし世界には温度差がある。
温度差に気づき、それを溜め込み、吐き出す。
温度差が大きいほど、より遠くに、より多くに伝えることができる。
これは、芸術家や学者に求められる、創造的な力だ。
それには温度差に気づく能力と、熱を共通の言語に変換する能力が必要だ。


コミュニケーションはエントロピーの増加であり、エネルギーに関わっている。
熱に関わっている。
生命は熱をめぐって存在している。


地球は灼熱の世界でも氷の世界でもない。
絶妙なバランスを保っている。
生命の目的とは、地球という熱の不安定な場所において、エネルギーを循環させ、熱のバランスを取ることにあるのではないか。
正しい方向とは、生の目的とは、人の役割とは、地球の熱のバランスを取ることにあるのではないか。


太陽から降り注ぐ熱が多いとき、生産する側は効率化を追求し、より少ない人と時間でより多くの物を作り出そうとする。
規格を作り、同じ物を大量に作り出す。
より遠くまで、より速く運ぼうとする。
航路は伸び、レールは敷かれ、電線は延びて電波は飛び交う。
有り余ったエネルギーは世界中に広がろうとする。
機械化は進み、それもまたエネルギーの消費を加速させる。

消費する側は、多様化、個性化を求める。
新しいものには価値があり、消費することはかっこいい。
活動的になり、旅行に出かけ、リゾート施設に泊まり、ゴルフをする。
車を買って距離をなくし、通信で距離をなくす。


太陽の熱が少ないとき、生産する側はもう設備投資はしない。
生産は消費の多様化に合わせて多品種少量化が進み、生産の効率は落ちる。

消費する側は、とりあえず定番を押さえておき、後はブランドや知識など形のないものに金を使う。
物質的なエネルギーは消費しなくなる。
「クール」がよしとされ、引きこもりが増える。


近代的な、一方向に向かってどこまでも進む価値観は、普遍的なものではない。
世界を機械として見るのは、ある特定の時代だけに当てはまるルールだ。
世界はむしろ、生命のようにできている。
世界は循環している。
生まれ、育ち、衰え、死んで土に還り、そしてまた生まれる。


太陽は昇り、沈み、また昇る。
水は湧き出し、流れ落ち、海に還り、蒸発して雲になり、そして山に降り注ぐ。
光と影は常に表裏一体で、生と死も表裏一体である。
世界は繰り返すリズムの中にある。
生命も同じリズムを持っている。


人類は今、秋の時代にある。
転換点は過ぎた。
人に期待されている役割は変わってきている。

変化は様々な形で現れている。
少子高齢化として、謎の病気として、紛争として、価値観の変化として。
物質的な消費のスピードを落とし、脳に、ネットワークに、情報に、知識にエネルギーを注ぐこと。
芸術にエネルギーを注ぐこと。
内面の世界に深く降りていくこと。
時代はすでに変わっている。
スピードを落とし、バランスを取ること。
今は静かに成熟する時だ。