組織と外部

「全社スタッフ」と呼ばれる、経営企画部門や総務・人事部門や経理部門は「外部」に触れる場所である。

一般的には、会社において外部に触れる部門は「営業」であると思われるであろうが、それは現象面に過ぎない。
内部に見えるものは外部、外部に見えるものは内部である。かもしれない。


営業の活動は顧客に接してはいるが、それは企業の活動という意味においては「内部」そのものである。
商品を売るというのは、企業の活動として見れば最も中核にある行為である。
そこでは行うべき行動は決まっている。
営業マンの行動は、企業の行動という秩序の中にあるのだ。


これに対し、全社スタッフはずっと社内におり、「内部的」な仕事をしているように見える。
しかし、例えば企画などは、事業領域を選択したり、中長期計画を立てたりしており、企業が進んでいる方向の少し先の領域を扱っている。
それは未来に関わる問題であり、組織にとって未知の外部の領域である。


人事は、企業に新しい血を入れるという意味で外部に接している。
組織に変化をもたらすものは常に、外部から新たに入ってくるものだけである。


経理は、「金」という外部を体現するものを扱っている。
金とは常に組織の内部に存在する外部である。
外部のものでなければ、内部の尺度とはなり得ないからだ。


このように、全社スタッフは、未知や変化と関わっており、組織にとっての外部を相手にしていると言える。


企業というのは一つの秩序である。
秩序の外部には常に混沌がある。
混沌の中には、光と闇が生々しい形で存在している。
光あるところには必ず影ができる。


このため、外部に接する部門は、光と共に闇の部分をも背負うことになる。
闇とは、ある「力」である。
目には見えないが、確かに存在するある力である。


例えば、広報は光を浴びるが、総務は闇をまとう。
外部への華々しい発表は広報の仕事で、外部からのクレーム処理は総務の仕事だ。
総会屋への利益供与問題などは、日本社会や企業全体の歪みの局所への現れである。


人事は光を浴びるが、総務は闇をまとう。
選別して採用するのは人事の仕事で、採用した社員の不満や愚痴を取り除くのは総務の仕事だ。


企画は光を浴びるが、経理は闇をまとう。
数字をもらって未来を考えるのは企画の仕事で、穢れた外部である金を扱い、膨大な伝票とわずらわしい事務から数字を作り出すのが経理の仕事だ。


組織である以上、光と闇が存在するのは仕方がないことだ。
体であっても、食物を入れる場所があれば、消化する場所もあり、出す場所もある。


その中で、時としてある個人にだけ闇が降りかかることがある。
そして闇の力があまりに強すぎた時、闇は個人の命を奪うことすらある。
それはジョーカーを引いたようなものだ。
圧倒的な闇の力は、勝手に降りかかってくるのだ。
そういう人にはどこかに隙がある。
しかし、彼らはいつも、不器用で優しい。


そんな人が近くにいたとき、我々そうでなかった者にできるのは、彼らの役割を理解することくらいだ。