言葉と井戸

人は、言葉と論理によって心に構築物を作ろうとする。
しかし、心に感じられる情報量は圧倒的で、それに論理の光を照らし、頭で理解しようとすると、いつまでたっても言葉に置換える作業に追われつづけることになる。
心の闇を照らし、心の中を秩序付け。
しかしそれは勝ち目のない戦いで、いくら井戸から水を掻き出そうとしても、枯れることはない。
それは当然のことで、奥底では地下水脈に繋がっているのだ。


言葉と理論によって世界をゼロと1に切り分けようとする若者の試みは、いつの日か壁にぶつかる。
どうしても切り分けることのできないグレーな部分の存在を受け入れ、納得しなくてはいけなくなる。
不可解な部分を抱えたままで耐えられるように。
それは妥協じゃなく、成熟だ。