「キッチン」吉本ばなな

この世界には、鋭すぎる感受性を持った人達がいる。
彼らは人並み以上に様々なことを感じ、傷つきやすい。体温が低く、死の世界に親しい。死を引き寄せ、夢の世界を共有し、時にはあちら側の世界も見てしまう。
この熱い現実世界では生きにくい人達だ。

しかし、だからこそ見える景色がある。スピードを落とし、テンションを落とした果ての、夢の世界に近く、死に近いその場所だからこそ、些細なものの美しさが見える。

美しい瞬間が、世界にはこれほどまでに数多く存在しているのかと思う。それは普段見過ごしてしまうようなもので、言葉にしようとしたらすぐに壊れてしまうようなもので、どうしても手が届かないようなもので、昔から知っているはずなのにどうしても思い出せないようなもので、夢の余韻のようなもので、人に伝えようとしても伝えられないようなものだ。「美」そのものであるようなものだ。
時間は残酷で、全ての美しいものや美しい感情を一瞬のうちにかき消してしまう。

彼女は、それら儚く美しいものの断片をかき集めて、それを言葉に置き換える真摯な試みを続ける。
それは最初から絶望的な試みであって、なぜなら本当の美は言葉を越えたところにしかあり得ないからだ。
だから言葉はそこに達することはできず、その周りを巡ることしかできない。
しかし、不完全ではあっても、なんとかして言葉に置き換えることができたものは、その場所に焼き付けられる。影のようなものではあっても、痕跡を残すことはできる。
そうした貴重なものが、この本には集められている。

そのことは、生きる上で「瞬間」を大事にしなければいけないってことでもある。
ちょっとした大雑把さや段取の違いがすぐに結果に現れてしまうのは、料理も人生も同じであって、人生ではすぐに結果は現れないけれど、日々、瞬間を大切にして、張り詰めていなければいけない。気を抜かず、手を抜かず、丁寧に手順を追って過程を積み重ねていかなくてはいけない。
過程でしかない。過程の中にしかない。
密度の高い瞬間の積み重ねのなかで、なるべく多くのことを感じ、多くの美しいものを見つけ出し、真実とか美とかいったものを手に入れることが大切だ。