頭がよいということ

「頭が良い」とはどういうことかと考えてみたりする。もちろん定義なんていくらでもしようがあるんだろうけれど。自分の好みの問題だ。
自分にとって、何が「頭が良い」ということなんだろうか?
取り込む能力と消化する能力と吐き出す能力か、とか思う。


例えば受験における頭の良さはそうではない。受験は要領だ。まず目的を設定してしまうこと。そして試験に出るものだけを効率よくインプットすること。それらの知識を限られた時間の中で、効率よくアウトプットすること。
一番求められるのは「従順さ」かもしれない。
 
うまくやるコツは考えないことだ。目的は自明のものとする。受かった後で何をするか、ということも考えるべきことではない。そんなことは後でまた考えればよいのだ。目的をすばやく設定し、そこへの最短距離を走ること。それが秘訣だ。 

最短距離を走るには、なるべくノイズを取り込まないことだ。ノイズとは、試験に出ないもののことだ。
インプットすべき情報は、最初から整理されている。それを、悩まず、考えず、額面どおり受け取ること。周辺には膨大な情報があっても、最初から迷わず切り捨てる。「試験に出るか出ないか」というラインで切るのだ。
目的を設定するための勉強や、教養としての勉強には際限がないが、目的が明確であれば、やるべきことも明確だ。
それはデジタルで、とてもはっきりしている。


その世界で、頭が良いとはある種の馬鹿であることの証明である。悩みのない馬鹿か、無限とも思える情報に気づかない馬鹿か、無駄なことにエネルギーを注ぎこめる馬鹿か、というところだ。
もちろん僕自身も要領が悪めの馬鹿だったわけであり、馬鹿というのはある種の誉め言葉であって、馬鹿になって走っていれば楽しいってことはある。
だけど馬鹿であるって自覚は持っているのが謙虚さってもんだろうとも思う。
「エリート」とはたいていがこうした馬鹿だろうから。


企業の世界でも全く同じことを感じる。そこでは自明とされる目的を設定すればよい。前提を疑うことをしない。目先の目的に向って、それぞれが目隠しをして、全力で走っているみたいだ。「売上・利益向上」とか「原価低減」とか「効率向上」とか。
バランスが取れていない。
「船室の壁の補修を一生懸命している、船体には大穴が開いて沈没しそうなのに。」
そんなバランスの悪さを感じる。底が浅い。

誰がバランスを取りながら方向性を考えているのか?そんな人は誰もいない。トップが考えるのはせいぜい、
「穴をふさいで船室の壁も直し、前に進むこと。」程度のことだ。
進むべきは前。それは楽しいからか、止まったら沈んでしまうからか。

「なぜ沈んでしまったらいけないのか」という問いにまで至ると、それは乗組員の生活もかかっているし、別に必要がなくても自分のために進みつづけるのが資本主義のルールなのだから、私企業がそんな所から考える必要はないのだけれども。


それにしても、日本中の企業が同じような方向に進む。新聞や雑誌やテレビやビジネス書なんかを見ても、どこかで聞いたような言葉が飛び交っている。言葉が共鳴し、反響しあって、どこでも同じことばっかりだ。
そして企業はそれに飛びつく。そして全体が同じように進む。なんだかとても動物的だ。
これだけのメディアの発達、情報技術の発達にもかかわらず、いやそれゆえか、日本の社会はコックリさんのように、鳥の群れのように、魚の群れのように、見えない力に作用され、本能的に動いているように見える。


それは多分、日本の社会を動かす人間が受験エリートであることと無関係ではない。
まずは目先の問題を解決することを考え、膨大なノイズを取り込まず、重要な部分だけを効率よく取り入れてアウトプットする。情報はデジタル回線の中をつるつると流れる。曖昧な部分や目障りな部分や効率の悪い部分は、最初から取り除かれている。目的は先送りされている。


本質的な頭の良さが必要だ。取り込む能力と消化する能力と吐き出す能力が必要だ。目先の目的や利益だけに目を向けず、まず目標を設定するような思考が必要だ。
そのためには整理された情報だけでは足りない。遠回りも必要だ。深く潜らなければいけない。一見無駄と思われる膨大なカオスの海に潜り、生きた情報を手に入れなくてはいけない。裏に潜む原理を見つけなければいけない。それを言葉に置き換えなくてはいけない。

大量の情報を生のまま取り込み、消化して、形あるものを作り出すこと。造形力が必要だ。芸術的な知性が必要だ。彫刻家が、材料の中に完成された像を見出すように。最高の材料を探し、その中に美の現れを見出し、それを技術力によって形にすること。芸術に比される、知的作業が必要だ。
変化の時にあって。価値観の流動化が進む中にあって。今までのフレームを壊し、新たな枠組みを作り出さなければいけない。


それができるのは、真にタフな頭脳だけだ。肉体的にもタフで、美の感覚を持ち、バランスが取れた者による、柔軟な思考が求められる。それができるのが、「頭が良い」ということだ。


しかし、そんなタフな頭脳を持ちあわせていない僕は、時に整理された情報に物足りなさと違和感を感じ、時に膨大な情報の渦に圧倒され、消化不良を起こしてこうしてストレスだけを抱えて言葉を吐き出している。