日野啓三

日野啓三は、「生と死、現実と夢、意識と無意識、光と闇、進化と記憶…」などについて、芸術家の感性と論理の両方を持って考え続けている人。(前者が強め。)90年代、日野氏60歳代に入ってから大きな手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達しているようだ。

日野氏は、心の奥底に、先祖たちの、民族の、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。
しかし同時に「意識は脳の働きである」という常識からも離れない。
意識を明確に持ったまま、心の奥深くに降りていく。
そのバランス感覚?がいい。参考になる。

  • 「自薦エッセイ集 魂の光景」

ロックフェラー大学のジョナサン・ウィンソン教授の説によると、夢を見るということは、「昼間の体験の無数の知覚情報を脳内に蓄えられた長期記憶と照合して、生存に必要な情報か否かを『海馬』にて選別する作業」であるらしい。
だから、

夢が常に視覚光景の、しばしばきわめて非論理的な展開の形なのも、日々の知覚情報と照合される古い脳幹や大脳辺縁系の記憶が、言語機能発生以前の、言葉を知らない記憶だから、と考えれば納得がゆく。

霊長類の大脳新皮質の異例な進化を促してきたのは、古い皮質の本能的情動の闇から抜け出ようとする光への憧憬だったのではないか、とも思えてならない。世界の形と筋道を意味をより広く眺め渡すこと、とりわけ自分自身を内部から突き動かしている暗い力を意識化すること

家庭が貧しすぎて小学校にも行けなかった一女性が、老年になって自ら読み書きを習って本を読み、自分でも文章を書くようになってから、こう語ったという。
「夕日がこんなにきれいだとは知りませんでした」

解剖学者の養老孟司は、本来全く別々の経路だった聴覚系の神経機能と視覚系の神経機能が重なり合った結果として、人間の言語活動が可能になったのだろう、と推測している。(「唯脳論」)・・・つまりわれわれの祖先が言語を欲したからではなく、後頭葉の第一次視覚野と側頭葉の第一次聴覚野から、それぞれ同心円状に広がる情報処理の波がちょうどうまくぶつかり合ったところに、視覚性言語中枢と聴覚性言語中枢が生じた。この二つの言語中枢は互いに連結しながら、さらに前頭前野運動性言語中枢と結びついて、言語の構造化、発語と書字という言語行動が出現したらしい。

無時間的なイメージを構成する視覚系と、時間に沿った変化を辿る聴覚・運動系という本来異質な神経経路が、いわば無理に連結されたため、永遠と時間、詩的直観と物語性、粒子と波動、恋と日常生活といった二項対立から、われわれの言語的思考は容易には逃れられない。

神経細胞が脳の中で互いにつながりあうことによって、お互い同士が末梢になり合う。互いの連結を複雑にすれば、抹消がより増えたことになる。
そのような神経細胞同士の「刺激し合い」―そこから意識が発生したのだ、と解剖学者は言う。言語も思考も精神もこころも自我も、脳が自分自身を維持してゆくための「自慰行為」に他ならない、と。

「自慰行為」の洗練と強化によって、われわれの脳は複雑になり大きくなった。だが分娩のさいの産道の大きさという骨格的制約がある。そこで脳が選択した二つの戦略―第一に早産させる。第二にまず書物、ついでコンピューターという形の、いわば体外脳をふやす。

遺伝子という不気味な物質、脳という薄気味悪い有機体、そこから心ならずも出現した意識というこの奇怪な現象。

(1980年代の初め、ひとりノルウェーの町に行った際)異星の風景のような湖岸に立ちつくしているうちに、目に見えない絶対的な何かが偏在している、という知覚を不意に鮮明に意識したのだ。ひどく古くて、圧倒的で、懐かしくて、そしてしなやかに精神的な何かが。/すべてをいま在るように、どこにも隙間も切れ目もズレもなく、在らしめているもの。意志でも力でもなく、いわばいまこのように世界が存在する、という必然性そのものの静かにしみとおる知覚。

(メタモルフォーゼ)

自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態になる瞬間があることを。以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーのゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。

少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。

より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができるということ。あるいは心ならずも近づき触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまうということ。

自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。彼あるいは彼女を駆り立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>という信念というより信仰に近いものだ。

少なくとも結果の保証のない賭け。賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、その安定と安心。

(書くことの秘儀)


東山魁夷

芸術家の祖先はシャーマンや預言者だと思うのですが、・・・芸術家も自分からなるのではなく、内心の声から逃げ切れなくなって、やむなくならされるものだと思いますよ。芸術というのは・・・暗い呼び声にこたえてひとり果てのない道を往く荒涼たる孤独の旅でもありますから。(日野)

人間が欲得のはからいを離れて本当に内面の声に従って生き始めると、人間の心の中と外側の世界とが不思議に通じ合ってくるように思います。・・・そしてそういう内と外との照応が偶然に起こるとき、自分の心の動きを本ものと思うのです。また自分の予感が呼び寄せたようにして起こってくる出来事は、もう否も応も計算もなく、受け入れるより仕方がない…。(日野)

順境というのは外部と自分との対立が弱まったときで、対立がないとエネルギーは生まれない。あとから振り返ると、そういう時期はたいてい自分が成長していません。(日野)

(1982.4.1-30)


今西錦司

生物は突然変異などではなく、その種の全体が変わるべくして変わってきたのだ、というのが今西進化論の基礎のひとつ

アフリカでゴリラの子供が二本足で歩きながらトウモロコシを担いでゆくのを見て、人間も、子供から二足歩行を始めたのではないか、という考えがひらめく。

進化は新しい世代から始まる!?

ぼくは方法論としてアナロジー(類推)を非常によく使う(今西)

今日の学問というのはね、・・・みんな分化、分化と分かれてゆくわけでしょ。細かな専門家になってゆくわけや。そんなので全体がわかるか、というんですよ。それは本当の学問ではないというのや。学問というのはね、自分で得心がゆくということや。・・・そこまで到達した証拠は何かといったら、未来が見えてくるということなんですよ。(今西)

山に行くと感覚が鋭敏になるんですな。直感がさえてきますよ。(今西)

直観でパッとわかったんやな。種社会というものが生物的自然の基礎になっている、構成単位になっている、ということがね。だから自然というものは、種社会の棲みわけである。二百万種に及ぶいろいろな生物が、それぞれの生活の場をもち、お互いに棲みわけて、それぞれに独自な社会をつくり出している、ということです。(今西)

「棲みわけ理論」。それぞれの種は、棲みわけている場の内側だけが世界の全てだと感じているのだろうか。人間も含めて。

人間といえども、自然から切り離されてはおらん。だから、自然と共感する何かがあるんです、人間の中には。(今西)

三十二億年前、・・・ある種の高分子が、ある時あるところで生物に変わった。・・・ある高分子の集団が、全部同じ生物の集団に変わったんです。そのとき出来た最初の生物の全体を何と言うかというたら、やっぱり種社会ですわね。生物はそもそも個体が先にできたものでも種社会が先にできたものでもなくて、同時に成立したものです。(今西)

共生とあえて言わんでもね。・・・すべての生物がそれぞれの場所に位置づけられておるなら、その場所を守っていることが、生物全体社会の秩序を維持していることになる。・・・自然というものは、そうそう変わらなくてもよいのと違うやろか。(今西)

計画的であることと心の奥の声に従うということは、普通は矛盾することのように考えられてますが、そうではありませんね。言い難いものに近づくためにこそ、言えること、考えることを尽くさねばならない…。(日野)

独創がどこから出てくるのか。・・・それはやっぱり、別の世界との関係でしょうな。ぼくの場合、別の世界とどうして関係が深まったかというと、その仲介者は山でしょうな。(今西)

ぼくの家族の起源説はね、人間の祖先の子供が、・・・ものすごく無能力な子供やった、というところから出発するんや。・・・だから、母親は群れから離れて、赤ん坊の世話にかかりきりになる。ほら穴のような隠れ家にこもってね。・・・人類進化のある時点で、どの赤ん坊も多少の遅い早いはあったとしても、立って歩き出したに違いない。だから、人類が人類になった根本的な条件として、胎児化、隠れ家生活、二足歩行の三つをぼくはあげる(今西)

別世界はね、実際あるんですよ。・・・しかしこの別世界を科学では、十分に把握できない。・・・なかでもユングが掴んでいる世界は大変興味がある。(今西)

でもここのところ、日本人は自然の半面はある意味で不気味なものも持っているという感覚、あるいは畏敬の感覚が弱くなっていますね。(日野)

論理が成り立つためには美意識がなければだめやと思うんですよ。(今西)

この前、物理学者の中村誠太郎先生と話をすることがありまして、・・・物理の新しい理論が出る、その数式が美しいと私はこの理論は信用していいと思う、と言うんです。(日野)
西堀栄三郎でもそういうこと言いますよ。(今西)


碁は理論じゃないと言いますね。見えるんだそうです。(日野)
ぼくも理論やないと思うな。(今西)
形ですって。(日野)
そうやろ、ゲシュタルトやな。先が見える。(今西)

(1982.6.7-7.9)
(1982.10)


○江上 波夫

例えば農耕民には農耕民の型があって、それが農耕民の歴史にも文化にも現れる。その型をつかみ出して、それに合わせて資料をつなぎ合わせて、初めて部分的な復原ができる。それを各面からやっていって、ようやく全体の型ができるわけです。(江上)

歴史は構築するものだ、ということを、私たちは、池内宏先生から学びました。しかし先生は、与えられた資料で論理的に構築された歴史は、過去の史実と必ずしも一致しない、文献の歴史学は論理学の域を出ない、と自覚しておられた。(江上)

先生の発想の原点が、夢と覚醒の中間の領域、つまり意識と無意識の境にあることは、よくわかります。私の経験だと、クリエーティブな仕事をされる人は、それがどんなに理論的、実証的な仕事でも、必ず意識下の領域と何らかのかかわりを持っている。意識だけからでは、決して創造的なものは生まれない。(日野)

国家の枠を超える世界の新しい秩序を考えねばならない。人類が生死の運命に立たされようとしている20世紀末から21世紀にかけて、人類の運命が大きく変わる予感があります。

(1983.1.4-2.16)


柄谷行人

(死ということは)すごく理不尽な、確固たる実体だという気がした。(日野)

この私という私的でしかない次元のことは、意外に重要でなくなって、荒涼と巨大な「自然」に、一人で直面する。あなたの言う、単独性ということをとてもリアルに感じましたね。(日野)

立花隆アメリカの宇宙飛行士の話を書いているのを読んで、(飛行士が宇宙で「神」の存在を感じ、それ以後宗教家になる人も多いという話)それをアメリカ人に聞いたら、一笑に付されましたね。というのは、宇宙飛行士を選ぶときにキリスト教徒で信仰深い人を選ぶ。・・・だから、もともとその素質のある人が宇宙へ行けば、そうなるに決まっている。おまけに、そのあとはろくな仕事がないからね。(柄谷)

立花隆の「宇宙からの帰還」は読んでいたが、見事に相対化された。

(1992.1)


○三木 卓

少なくともエネルギーの流れがある場が永遠に残っているとすれば、それは僕にとっては救われます。しかし、もし何もない、というのが本来の世界のありようで、われわれはしばらくだけ在るけれど、それは借金で、それを返したらまた無に戻っていくのだとしたら、これはつらい。(三木)

巨大な宇宙的なエネルギーの場があって、その中の偶然の波動の微小なひと揺らぎが僕の一生であったという気がします。(日野)

われわれの意識というのは、実にうたかたのもの、ゆらめいているもので、われわれが現実と言っているものも、あるいは世界という言い方をしているものも、そんなかっちりしたものが客観的にあるのではないということを、僕は痛いほど知った。(日野)

頭の中か体の中で、何か小さいものがピクッと震えるような気がする。そうすると途端に、イメージと言葉が一緒に出てくるんです。そのとき、これは大乗仏教唯識論にある認識の「種子」だと思った。言葉とイメージ、それに意識の働きは、一つの種なんだと思いました。われわれにとって言葉は脳の中にしっかり組み込まれているから、言葉を通さない認識感覚というのはないんです。(日野)

(1997.5)