成熟と排除

以前ほったらかしだった書き込みをつなげましょう。

>(無題) 投稿者:よーた  投稿日: 3月26日(月)14時58分09秒
<今日のメモ>
・成熟とは曖昧さを受け入れることで、世界は黒か白か/敵か味方かだけじゃないことが分かることなのかもしれない。そしてそれは体に免疫力がついて、肉体にとって害になるものをそれ程厳密に排除しなくてもいいようになることと対応しているのかもしれない。

と、

>ケンキチ 投稿者:えだっちょ  投稿日: 3月30日(金)15時17分06秒
言葉狩りは、人間の左脳にしかメスを入れていない。差別感情というものをなくす(減らす)には、右脳にメスを入れ「ケガレ」のイメージを取りはらわなくては意味がない、と小林よしりんが以前言っておりました。
>「ケガレ」の概念というのは、神道から発生した、日本人独特の概念なのだそうです。
そういえばぼくらも「エンガチョ」とか流行ってましたよね。「ケガレたものに触れたらケガレる」。確かにその概念は根強い気がします。

・・・より。
「自分と違うものは『ケガレ』ている」として排除してしまう日本人というのは、「成熟」していないのかもしれませんね。
マッカーサーさんは「日本人の精神年齢は12歳だ」とかのたまったそうです。具体的数値であるところがすごいですね。
まあその根拠というのも全く分かりませんが、いずれにしても、何か感じ入るところがあったのでしょう。

しかし、ひとつにまとまろうとする日本人というのは、逆に無理してやってたことなのかもしれないとか思ってみたりもします。
本当は日本人ってのはちっとも同質でも単一民族でもなくて、「縄文人」と「弥生人」とか、「ソース顔」と「しょうゆ顔」(古い)とか、東北地方にはアングロサクソン系の人が渡ってきたから色白の秋田美人が多いんだとか、まあいろいろな話があります。
むしろ、そもそもは、雑多な人種が混在していて、しかも方言がきつくて、とても自分と同じ仲間とは思えないような人間の集まりだったから、これじゃいかんと思った明治政府とかが、「日本はひとつ。殖産興業。一億一心。」とかいう思想を、忍者とかを使って全国に浸透させたのかもしれません(時代考証嘘)。「神道」なんて、明治から昭和初期の思想だし。

しかし、「実は日本は多民族国家だった」とか言われだしたのもこの10年くらいであって、これも価値観の多様化とか、核家族化とか、その他諸々の、ベクトルがバラける大きな流れの一環なのかもしれないです。
「思想やバックグラウンドや価値観の多様化と、規格/フォーマット/場の統一」というのは、望ましい方向性のように僕には見えます。