校長、日本刀抜いて朝礼

インターネットは情報の宝箱です。
椎名林檎妊娠」に次いで飛び込んできた情報がこれでした。
「校長、日本刀抜いて朝礼」
なかなか秀逸なネタです。
これに類したものとしては、

「部長、ハゲヅラで珍騒動」
ガチャピン、シュノーケル持って宇宙へ」
サザエさん、裸で大騒ぎ」
「並平、日本刀抜いて大暴れ」
「マスオ、消しゴム食べてご満悦」
「タイ子、不倫疑惑捏造」

等が思い浮かびますが、現実の重さには勝てません。
久しぶりにわくわくした気持ちになりました。
が、記事を読んでガッカリ。文字通りの内容でした。
校長先生が朝礼での話の中で日本刀を抜いて見せたと。「真剣味」を伝えたかったんだと。
そのまんまやないかい。
マスコミは一体何を考えているのでしょうか。
単語の組み合わせが面白かったから、という観点であれば「合格」です。最大限に評価します。
しかし、もしも何らかの問題提起をしようとでも思ったのであれば、すこぶるファッキンです。
くだらない。
そんなことをいちいち言われていたら、僕らおちおち教壇にも立てません。<教員じゃありません。

教職とは聖職なのです。
ちょっと前までは、まだ権威があり、尊敬されるべきものだったのです。
ところが今はどうでしょう。権威を相対化して全てを平等だと言うのもいいのですが、それが行き過ぎると、規範そのものがなくなってしまうのです。
多くの責任を背負って高いレベルで頑張っている人というのは確実にいるのであって、それを尊敬する心まで失って、全てが平等などと言うことは、何もしていない無礼者を増長させるだけなのです。
学校において先生の権威を貶めて何の秩序がありましょう。むしろ、もっと権力を強め、組織の秩序を乱すような者には「精神注入棒」等で小国民としての自覚を叩き込むべきなのであります。さらにはそれをおし進め、国の姿勢に反対する者は全てこれ、ことごとく検挙あるいは駆除し、国の秩序を維持すべきが今現在最も優先すべきことなのであると言えましょう。
…って、流れ的にそうなっちゃうのか?

そうか。民主主義が腐敗し、衆愚政治と成り下がった現在の状況の後に来るのは、ファシズムの台頭であり、そうして国家は狂った一枚岩となって暴走するものなのだ。それはプラトンが喝破していることなのだ。
不況の後の閉塞感の中、日米のガイドラインの見直し、破壊活動防止法の改正、盗聴法の成立、改憲議論の高まり、国民背番号制の導入と、年表を作ると非常にきな臭く、現在は一歩間違えると昭和初期の戦争前夜にもつながる恐ろしい状況にあるのだ。
その流れを阻止すべく、一部の敏感な人々が権力の縮小を目指しているのだ。
だから、政治家や官僚や警察や医者や教師など、権力とされてきたものは、平和のために断固糾弾されるべきものなのだ。
校長が日本刀などと、まったくとんでもない話なのだ。