歯車

モーターのついた歯車になりたい。
人は社会の歯車だ。
よく「組織の歯車」とか言うけど、自由業だって自営業だって歯車の1個には変わりないわけで。
そう思ってない人は単にそれに気づいてないだけで。
仮にも社会に出て、お金もらって生活してる人は、みんな歯車。
それがどこについてる歯車かってのが違うだけ。
後の違いはそれぞれの歯車の大きさとか歯の数とか回転数とかだけでね。
それはそうだ、「社会」ってのが歯車たちによる動きだとしたら、それに参加してないのは社会の役に立ってないってことで、何の役にも立ってないのにお金もらうことなんてできないからね。
(ここで歯車とは広義で捉えて頂きたく、従って、オレはシャフトだ。オレは断固としてネジだ。いや油をさしたりメンテする係だ、などと言われてみても、みんな広義の「歯車」としてしまう。)


「イヤ、オレは組織の歯車になんかならない、むしろ転がる石のようになるんだ」などと思っても、まだ青いといったところ。
例えば本家ローリングストーンズほど素敵に回り続ける歯車は他にないくらいなものである。
いや、音楽家、芸人、等々の方々は例外として「横回転する歯車の上で回ってるからくり人形みたいなもん」と言ってもいいかもしれないけれども。誰かが動かしてるものの上に乗っかって回ってるわけだからね。


で。
世界が歯車で回る機械であるなら、回される歯車より回す歯車の方が面白そうってのは当然の思い。
「歯車じゃなくて動かすほうになりたい。」っていうことでもなくて。
多分、世界の成り立ちは中央管理型じゃなくて結構分散型のシステムなんじゃないかと思うし。
「どこかに中央制御装置があって、そこが全てを動かしているのだ。しかしオレはただ隅っこで回ってる1個の歯車だ…。そして磨り減ってゆくのみなのだ。俺をすり減らす奴は誰だ?誰なんだ?ヘイ・ユー!ファッチュアネーーム!?」
…今時そんな問題意識を抱えてる人は「ヘイユーブルース」を歌う左とん平くらいなものであろうが、それはともかくとして、そんな世界じゃなく、世界は結構分散型で、あっちこっちで勝手に回ろうとしてる歯車が全体としてある方向に進んでいくって感じなんじゃないかと思う。


ちっちゃい所だけど企業の中にいて、ちっちゃいからこそ結構全体が見えて、それでそう思う。
結構「隠された誰かの意思」なんてなくて、「こんなことで決まっちゃっていいの?」みたいな感じだし。
大きい影響力を持った誰かだって、別の何かに動かされたりしてるわけだし。
動きの原動力はやっぱり個々の、結構ちっちゃい歯車だったりするわけだし。
そうして動いてるいくつかのグループが組み合わさって、結果としてより大きいものが動いていくものだろうし。
それがインターネット時代にふさわしい考え方でもあるしね。


だから、だったら、端っこの方でも、自分から動けば動かせるじゃん。と思う。
回してるのか、回されてるのかって、自分が一番よく分かる。
力抜いたら本当に楽で。
力入れたら本当に抵抗が加わって、本当に重さの感覚があって。
でもそれは自分が世界の片隅を動かそうとしてることの実感なんであって。
そのうちに、回りがその回転に合ってきて、いつの間にか楽になってたりして。
そして、ああ、これって自分が作った流れだ、ってのが分かって。
注いだ力は良かれ悪しかれリアクションとして返ってくるから。
それで…。
ちょっと面白い。
それだけだけど。
別にその動きが全体の中でどんな役割を果たしているのか、とかはあんまり問題じゃなくて。
いや問題かもしれないけど問題にしなくて。
「中央」とか「重要性」なんてないのかもしれないし。とか思いながら。
組み込まれてなかったら、1人でどんなに自由に回ってても、抵抗がないからオーバーヒートして壊れるからね。
だから、大学生や大学院生で、抵抗がないままにぶん回ってておかしくなってる人は、それは単にヒマで困ってるだけなんだから、なんでもいいからとにかく働くのが一番なんですね。
場所とか必然性とかはなくてもいいからね。