「タイタンの妖女」 (カート・ヴォネガット)

宇宙と時を駆け巡る壮大なストーリーの中に、悪夢的な感覚が散りばめられている。
「運命は予め全て何かによって定められている」という感覚がある。
それをつきつめて、人類の進化の全てが、高度に文明の発達した宇宙人の、ごくつまらない目的のためだけにあったという話。
爽快なニヒリズム。壮大なブラックジョーク。
「ご都合主義」と同じ意味で用いられる「小説的」というのは、実は正しく「人生的」であるのかもしれない。人生とは予め全て定められた壮大な無意味なのかもしれない、と思ったりする。

あるいは、主人公は「今は自分は絶対に死なない。なぜならまだ果たすべき役割が残っているから。」ということが分かったりする。
また、どこかの軍隊で「なにか重要なことを忘れているような感覚」に陥りながらも(宇宙人にアンテナを埋め込まれているからだが)、他の人間と同じように上官の指令通り動くのだが、周りを見まわすと目が死んだような奴ばかりだったりする。そしてそれは命令を下しているはずの上官も同じで、他とは違う何かを知っているような眼をした人は、ごく一部、階級とは関係なく存在していることが分かる。そして実はその人間が、他の人間をコントロールしている。
このような、日常で感じるささいな違和感のようなものがストーリーに組み込まれていて、深く考えると頭がおかしくなりそうだ。
(再読)