インド旅日記(10) バナラシの夜は更けて(バナラシ(3))

まずベッドに横になり、瞑想のための自己暗示をかける。
「体の力を抜く。手足が重くなっていく。手足が暖かい。体が温かい。額は涼しい。体中に血液が巡っている。心地よくなっていく…。」
暗示がものすごくうまくいく。
そうしてしばらく、全身の気の流れを感じた後、ノートに今の状態を書いてみようと思う。今日はいろいろと試そうと思っていた。今度は上質な酔いだと思う。


思考はあまりにも速く、手が思考について行けない。ぼーっとしていながら、思考はものすごい速さで回転している。笑いながらノートに書く。
"甘いもん派と酒のみ派
鍵はこんなところにあったのか。
母がいるのと、いないの。
分かってる。今が。
なんだそりゃ。
きてるなー。書くのがもどかしい。
っていってる間にほら。
はえー、思考。
ちがうちがう。
笑。
はえー。早すぎ。
・・・。"


こんな感じだ。思考の早さに手がついていけない。
絵を描いてみる。
紙は粒子が粗く見える。そこに虹のようなラインが浮かんで見える。それをなぞって書く。しかし、途中から手が勝手に動きはじめる。意識を超えて、手が動く。
そして1ページ描き、改めて自分の描いたものを見て、怖くなってきた。
それは、幼児の描くようななんだか分からない形で、顔のイメージのような、いや、女性器のようでもあった。恐怖を感じると同時に、興奮も感じる。
もう1ページ描き始める。
最初は自分でもなにを描いているのか分からなかった。手が勝手に動いていた。それはあまりに面白く、アンドレ・ブルトンの自動書記のことを考えながら、手の動きはますます速くなった。そして描きながら、次第に自分が何を描いているのかがはっきりと分かった。恐怖がわき起こった。背筋に震えが走った。
それは、産道の中から外の光を見た景色だった。
自分がこんなものを描けるはずがなかった。自分の画力以上のものがそこに描かれていた。
まずい。こんなところまで行ってはいけない。こんなものを残してはいけない。しかし、手の動きは止まらなかった。頭の中に浮かんだ映像を、ますます速く、手は捉えていった。肉のひだを、垂れるしずくを、入口とそこから射し込む光を…。
恐怖。強い恐怖。そして興奮。行ってしまう。先まで行ってしまう。だが止まらない。

続けて無意識のうちに手が文字を書く。しかしそれは次第に文字でなくなる。幼い頃、ノートをでたらめな文字で埋めていたのと同じだ。あの時と同じ衝動だ。手の動きは止まらない。意識の動きが追いつかない。しかし動きつづける。そしてノートを黒く塗りつぶしていく。
興奮。衝動。激しくノートを塗りつぶす。
光沢を帯びた黒いものが存在している。光が上の方の一点から射し込んでいる。黒い塊には穴があり、そこから光がもれている。それには生理的な生々しい感覚と根源的な存在感がある。
何かの正体を露にしてしまったのだろうか。根源的なものの姿を見てしまったのだろうか。手は正確にその形を描き出した。どうしても止まらなかった。

頭の中に光の固まりが生まれる。1本の大きな光の突起が伸びていく。そこから伸びる無数の突起。光の粒子。それが一点に向かって伸びていく。精子の顕微鏡写真みたいだ。
帰りたい。戻りたい。全身が、死へ。ひどく哀しい。全身が叫んでいる。SEXの絶頂が一瞬の死の体験だというのが分かる。生と死は隣り合わせている。興奮と恐怖がある。
危ない。戻らないと。でも止まらない。狂気が裂け目からのぞいていた。それが笑う。やばい。行きすぎたらまずい。
だけど、行ってしまった。
そして全てが分かった。
目の前に世界の秘密が開かれた。疑問が明らかになった。
こんなに分かってはいけない。だがもう戻れない。
恐怖と哀しみ。
死の直前に全てが分かるというのは本当だったのか。俺はここで死ぬんだろうか。
いや、最初から全て分かっていたんだ。全ては示されていた。なぜ気づかなかったんだろう。
世界は神のゲームだ。白と黒の戦いだ。光と闇の戦いだ。それは最初から分かっていた。
神と悪魔の戦いの歴史が感じられた。世界が二つに分かれて見えた。そして、本当は何が味方で何が敵だったのかが分かった。
俺は神の一部で、だから生を戦わなくてはいけなかったんだ。分かってしまうともう戦うことはできないから、そして独りだと分かってしまうから、気づいちゃいけなかった。俺は神だったんだ。そしてずっと独りきりだったんだ。
気づかないように、先が見えないように、だから一つの方向に流れる時間というものがあるんだ。
もう遅いのか。こんなに分かってしまっているのだ。これは死ぬ前の種明かしなのか。今が俺の死なのか。こんなところで。でも仕方がない。

人間は宇宙のひとかけらだったんだ。手塚治虫は神だったんだ。だから「マンガの神様」だったんだ。永井豪は正しかった。ニーチェは正しかった。そんなことも分からなかったなんて。ニーチェは俺だ。キリストは俺だ。ジョン・レノンは俺だ。ユダは俺だ。尾崎豊も俺だ。なんで気づかなかったんだろう。こんなにはっきりしているのに。
世界には自分が何人もいる。それを探し出すことだ。真実を教えてくれるものに気づくことだ。それが生の目的だった。
人生に無限の選択肢があるっていうのは本当だ。瞬間ごとに選択することによって、世界は変わる。だけどもう遅いのか。もうここで終わりなのか。


見上げた部屋の灯りは、不思議に強く輝いて見えた。一瞬キリストの影が見えた気がした。――神は、ここにいる。
今までの人生が走馬灯のように見えた。
後悔することばかりだった。胸が苦しくなった。全てが見られていた。他人に本心を隠しても、真実を隠すことはできなかった。
僕は間違っていた。
Oは菩薩だった。Sは菩薩だった。彼らは小学校時代の友人で、いじめられっ子だった。僕は最後のところで彼らを守らなかった。
どうして気づかなかったんだろう。聖なるものは汚れたものの中にあるってのは本当だったんだ。だからいじめられっ子は聖なる存在なんだ。だから俺の敵は世間で、マスコミだったんだ。だからインドは聖なるところなんだ。インドのこのホテルの一部屋に灯る、この光が聖なる光なんだ。だから俺はインドに来たんだ。
この瞬間に至る全てが必然で、全て決まっていたことなんだ。
バングラッシーを飲んだのは、マスターに会ったからだ。それは今日ホテルを変えたからだ。ここで独りになったのも、ホテルを変えたからだ。ホテルを変えたのは、昨日チャラスを吸ってバッドトリップしたからだ。チャラスを吸ったのは、Mさんと出会ったからだ。Mさんと出会ったのは、電車で席を求めて騒いだからだ。それは、予約がちゃんととれていなかったからだし、駅のポーターがあの席に連れて行ったからだ。予約がちゃんと取れなかったのもポーターに頼んだのも英語力が弱かったからだ。英語力はあると思っていたし、思っていたから一人でインドに来たのだ。だが英語は必要だったし、そのことはすでに確認したことだ。だが僕は小学生の頃英語塾に通っていた。その頃から分かっていたことなのだ。
先輩から電話がなければ、インドには来なかったかもしれない。先輩と仲良くなったのは共通の友人がいたからだ。そして彼と仲良くなったのは・・・。
S君に話を聞かなければ、インドには来なかったかもしれない。S君と仲良くなったのは、筋肉少女帯が好きだったからだ。筋肉少女帯が好きになったのは、深夜にラジオを聴いたからだ。深夜にラジオを聴くようになったのは、中学校時代にそれを共通の話題にする友人達がいたからだ。彼らと仲良くなったのは、共通の友人がいたからだ。その友人と仲良くなったのは、小学校の時に同じクラスだったからだ。しかも、その友人と一緒に英語塾に行こうとしたのだ。小学校の時に仲良くなったのは、二人とも目が悪かったからだ。僕の目が悪くなったのは・・・。
昨日ガンジス川で出合った娘と一緒に行動していたら、ここで独りにはならなかったかもしれない。だから彼女は謝ったのだ。俺を留めることができないから、謝ったのだ。彼女は知っていたのだ。彼女はメッセージを持っていたのだ。あれが最後の頼みの綱だったのだ。
それらの流れが一瞬でつながった。昨日会った人も、今日会った人も、全て必然だったんだ。今までの全てがここにつながっているんだ。だから俺はここにいるんだ。全てが示されていたんだ。なぜなら、この世界は俺のための世界だったんだ。だからここからは逃れられないんだ。隠れることはできないんだ。
インドがこんなにポピュラーなのがおかしいとは思わなかったのか。こんなに全てのベクトルが一致していて、おかしいとは思わなかったのか。インドに来るように、この場所に来るように、俺は仕向けられていたのだ。


俺はここで狂うんだろうか。狂いたくない。だけど、こんなに分かってしまっていて、この先普通にやっていけるはずがない。忘れてしまいたい。
…いや、本当は最初から分かっていたはずだ。独りきりで、地獄を生きなくちゃいけないってことが。それを認めたくないから、今まで知らずにいたんだ。
知るべきじゃなかった。本なんて読むんじゃなかった。自分探しなんてすべきじゃなかった。目的地がここだと分かっていたら、そんなことはしなかった。
だから、時間があるんだ。だけど今は1本につながってしまった。
だから単調作業が苦しかったんだ。それは永遠の地獄なんだ。
古い建物が物悲しいのは、インドが最後の場所だからだ。生活が哀しいのは、そこに入れないからだ。
昔話は全て真実だ。そこに全て示されていたのだ。浦島太郎は異界に行ったのだ。異界に行って、戻ってこなくてはいけなかったのだ。桃太郎は鬼退治に行くしかなかったのだ。
おかしいとは思わなかったのか。これは俺の世界なんだ。だから全てがこんなにぴったり一致するんだ。どうしてこんなことに気づかなかったんだろう。
「一瞬の栄光。汚れと聖。」それがテーマだ。だからインドなんだ。
俺はキリストだ。分かっていたはずだ。俺が世界なんだ。
世界は胎児の見る夢だ。夢野久作は正しかった。これは夢なんだ。世界は夢なんだ。だから全てが一致するんだ。俺はまだ生まれていないのかもしれない。世界は俺が見る夢なんだ。
俺はもう選んでしまったのか。生まれるときに人生を選べるってのは本当だったのか。
俺は今が産まれる時、試されるときなんだろうか。そうだとしたら、選びなおしたい。だけどもう遅いんじゃないか。それは分かってるはずだ。
俺はもう死んでいるんだろうか。その方がマシだ。


…体は動く。そうだ。肉体が、生きてるって事の証だ。だから、体を鍛えなくちゃいけなかったんだ。俺は間違っていたんだ。
このまま狂うのだろうか。狂って意識がなくなるのは嫌だ。だけどこんな意識が残るのは辛い。それが俺の地獄なのか。精神病院での単調な生活のイメージ。それは俺の未来なのか。だからそれが俺にとっての悪夢なのか。
世界とつなぎとめるものは人とのつながりだ。だから、俺は間違っていた。それは昨日、確認したはずだ。父が、母が、悲しむイメージは、このことだったのか。
人生には保証がないって、受験に失敗したときに思ったのはこの事だったのか。いい大学に、いい会社に入らなくてはいけないと思ったのは、だからなのか。ここでこうして終わるから、気が狂ってしまうから、せめて輝いていたかったのか。最初から全て分かっていたんだ。


鏡を見る。気づくと、髪を上に上げ、こっちを見ていた。これは、幼い頃の俺がやっていたことだ。最初から、全てはつながっている。これは死者の顔だ。鏡の向こうから、死後の俺が覗いている。だから、死者はハゲているのか。だから河童はハゲているのか。そういうことだったのか。全てが一致しすぎているとは思わなかったのか。
気がつくと、その場で走っていた。これは、死者のすることなのか。精子の競争なのか。
この競争に、勝たなくてはいけないのか。だから、マラソンは感動するのか。俺が陸上をやっていたのはこのためか。走りつづける辛さに、耐えなくてはいけないのか。
俺がギターをやっていたのはインドで「No where man」を歌うためだった。それだけのためだった。
ボクシングは生そのものだ。人は戦い続けなくてはいけないんだ。生きることは戦うことなんだ。一瞬の急速の後、戦うためにまた立ち上がらなくてはいけないんだ。逃げてはいけないんだ。だからボクシングはあんなに感動するんだ。
気づくと水を飲み、部屋をうろうろ歩き回っていた。その動きは止められなかった。再び走り出さなくてはいけないのか。今は休んでいるだけなのか。
…いや、ばかばかしい。何とかしてやめるんだ。しかし、ベッドにじっとしていることは不安だ。
そして気づくと、大きくうなずいていた。いろいろなことが次々に分かった。思い浮かぶこと全ての本当の意味がはっきりしていて、全てがつながっていた。俺は狂った「認識者」になるのだろうか。それが俺の求めていたもののゴールだったのだろうか。
世界は白と黒の、光と闇の、天使と悪魔の、味方と敵の、戦いの場所だった。そして俺には、何が味方で、何が敵が姿を変えたものだったのかが、はっきり分かっていた。
俺の敵は世間で、評判で、マスコミだった。だからマスコミは人気があったのか。「世間」にだまされていた。「人の考え」に邪魔されていた。それはこれがある一つのルールの、俺のためのゲームだったからだ。
仏陀もキリストもニーチェジョン・レノンも、同じことを言っていた。村上龍バタイユを持ってきたのも必然だった。それらは全て、世間からズレることをテーマにしていた。どうしようもなく、全てがつながっていた。悟りとは「狂気」のことだ。だから、狂気もまた世間に嫌われているんだ。


僕は自分の中に手がかりを求めた。支えとなるものを探した。「自分」とは何だろうか。しかし、奥深くに入って行くと、日常の属性は玉ねぎの皮のように剥がれ落ちていった。自分を支える根拠は、自分の中にはなかった。「自分」とは外に対するための手段でしかなかった。他との関係が自分で、その中心は、空洞だった。
しかし、そこにはなにかが残った。見上げた光の一部のようなものだった。
それは、「生への意志」だった。「本当の自分」の実体は、生きることの根拠は、「生きる」という意志でしかなかった。それが命の本質だった。それ以外に根拠はなかった。
僕は手を合わせた。何かに向かって、手を合わせた。


僕は独りだった。僕をつなぎとめるものは何もなかった。逃げ場がなかった。眠ってしまったら意識が戻らない恐怖があった。僕はここで気が狂うのだろうか。ここで死ぬのだろうか。それが僕の求めていたことだったのだろうか。
だが、死とは眠りなのだ。それに気づいたときには笑いたくなった。それだって分かっていたのだ。
全ては光と影、昼と夜、生と死で、それがゲームのルールなのだ。だからヘーゲルも正しかったのだ。言語と非言語、意識と無意識。狂気。カオス。丸山圭三郎だってこのことは知っていた。漱石も。村上春樹もだ。


眠ったのだろうか。それとも目覚めているのだろうか。
僕は魚の動きをしている。胎児の夢を見ている。息苦しい。それは、エラ呼吸をしているからだ。ひどく暑い。言葉にならない夢を見ている。天井のファンのパタパタいう音は、しずくの垂れる音だ。母親は今、風呂に入っている。だから暑い。ドアの外の話し声は、子宮に響く声。聞き取れない声はストーリーを産み出し、それが胎児の夢だった。足をひれのように動かし。

しかし夢からは覚めなくてはいけなかった。理性とこの「狂気の認識」と、本当はそのどちらが正しいのか。それだけが分からなかった。だから、「時間」を感じた。分からないのが「今」で、今は進行していた。だから、自分が生きていることが分かった。
生きることは、先が見えないことだった。先が見えない不安を引き受けることだった。先が見えない時間の中で、不安を感じ、安心し、緊張と緩和のリズムを経験することだった。僕は今まで、その場に留まったままで全てを知ろうとしていた。だから僕は間違っていた。
先の分かっている恐怖。それが本当の恐怖だった。どこまでも同じ事が続いていくことが分かっていること。どこにも救いがないことが分かっていること。それが続いていくことが分かっていること。しかしそこから逃げることもできないこと。それが本当の地獄で、悪夢だった。


終わりのない、輪になっている時間の存在を感じた。
輪の中の自分の人生を、少し離れた所から体験していく。不安と恐怖と孤独の時間が続いた。そして、時に一瞬の栄光を感じると、不意にレベルが1つずつ上がっていくのを感じていた。一周すると視点が上り、今の人生の体験の意味が分かるのだ。
 もう一周でいい。今よりもう一周で止まれ。そうすれば、耐えていける。そう、耐えていかなくては。半分の狂気の中、絵や詩を書けば、なんとか耐えていけるかもしれない。だから表現は重要なんだ。芸術は真実だったんだ。


日本へ帰らねば。朝まで持ちこたえなくては。
周りを見まわす。部屋は閉じられている。荷物はアイテム。武器だ。これはロールプレイングゲームだ。ゲームもまた人生なんだ。
のどの渇きはひどい。水は走るために必要だ。だから水は重要なアイテムで、タバコは敵なんだ。ここは水が飲めないインドだ。念が入っている。ミネラルウォーターの残りは少ない。
持ちこたえるものは体力。それはない。強い肉体は持っていない。俺の武器は何か。
気力。意志。意志の力―。生きるという、意志。ただそれだけか。
人が死に直面して、今までの人生を試されるというのは本当だ。その時に生に引き戻してくれるものは人だ。だから、孤独は悪なんだ。もし、もしも生還できたら、人とのコミュニケーションを大切にしよう。自分にこもることなく、なるべく多くの人と関わっていこう。英語の勉強をし、体を鍛えよう。
それは悲壮な決意だった。全て絶望的につながっていたからだ。そしてその先は狂気と死とを指し示していたからだ。
インド。言葉が通じない。夜。独り。抜け出せない悪夢。閉じられた輪。
いつ発狂してもおかしくなかった。発狂というのが幼児に帰ることで、それが俺の望んだ結果なんだろうか。だけど、とにかく、日本へ。
頭は重く、しびれたまま。


部屋の外に出る。
閉じられた輪を開かなくては。
2時とか3時とかで、屋上のレストランに明かりはついていたが、人は誰もいなかった。人々の残したタバコの箱やごみが、そこに少し前まで人がいたことを感じさせ、それが安心させた。
しかし、羽虫のブーンという音はいやに大きく耳の後ろで聞こえ、それが不安を生む。手すりの形は、さっき描いた絵の形に似ている。奇妙な符合だ。恐怖が沸き起こる。見られている。逃げ出せない。
このままここにいたら、飛び降りてしまうかもしれなかった。


また部屋に戻り、独り、戦いを続ける。
「この世界は自分のためのものだ。自分に見えるものだけが世界で、その中には自分に手がかりを与えるものが隠されている。だから今まで自分が得たもので、世界の全てが分かるのだ。それは自分に示されるためだけに存在していたのだ。その他のものなど最初から何もなかったのだ。それは独我論として言われていることだ。」そんな考えに取りつかれる。
頭は常にしびれたように重く、意識は眠りに負けそうになる。半分眠った状態で、意識を持ちながら、「これは夢なんだろうか、なんとかこの狂った意識が消えてくれたら、起きたら元に戻っていてくれたら」と思う。だが意識は残っている。無理だと思う。


自分を守る手がかりは何かないのか。自分を世界につなぎとめてくれるものはないのだろうか。
そこで手に取ったインドでの日記も、やはりアイテムだった。今までの自分の行動は、現実感はないながらもそこに記されており、自分の連続性が感じられた。
自我、記憶、連続性、意志…。それらが、自分を守るものだ。死から自分を守るものだ。そして、世間やマスコミも。具体的な人間、そしてマスコミと世間の評判によって、人はつなぎとめられる。

なんとか、戻ってくる。
手塚治虫は、永井豪は、ニーチェは、そしてその他の多くの人たちは、このことを知っていたのだろうか。むろん知っていたに決まっている。
人間には2種類あるんだろうか。知っている人間と知らない人間。狂気を知っている人間は、それを乗り越えて、それをいかに表現するかを考えているんだろうか。
音楽の聞こえ方が変わるかもしれない。何かが分かるようになるかもしれない。それがバランスだ。


いつの間にか眠ったらしい。
朝が来て、昼が来て、部屋の外に出て、医者を呼ぶように頼んだのに、医者は来ない。人となんとか話ができることを喜んだが、頭は重く、ものはうまく考えられない。入院しての帰国でもいいから、とにかく日本に帰らなくてはいけないと思っていた。
夕方、医者が来て、特に何も言われず、ちょっと怒られて薬をもらうと、少しは安心する。


ふらふらしながら、リコンフォームの電話をしに外に出る。
日程的に、なんとか今日中に飛行機の予約確認のための電話を入れないと、日本に帰れない。
自分がどこを歩いているのか分からない。頭がはっきりしない。夢の中にいるようで、全てに現実感がない。

なんとかSTDにたどり着き電話をかけると、旅行代理店でもらった紙に書かれていたエア・インディアのオフィスの番号はなんとファックス番号。悪夢がよみがえる。出発前から悪夢はつながっている。
店の人になんとか頼んでバナラシ支店、デリー支店まで探してもらい、会話も手伝ってもらって確認を取ろうとするが、バナラシ支店まで直接来いと言われる。悪夢だ。
言葉の壁。場所の壁。時間の壁。
STDのおっさんは、リクシャーで行けると言い、紙に行き先を書いてくれる。
時間は4時を過ぎている。5時までに行かなくてはいけない。


街を歩く。人ごみの中、意識は朦朧とし、どこを歩いているのか分からない。悪夢の中の、不条理な世界。
4時半頃、やっと1台のオートリクシャーを見つける。無口な若い男。ここに味方がいたと思う。
運命を切り裂いて走るリクシャー。不安とあせり。しかしこれが僕の人生なら、ぎりぎりで間に合うはずだ。時間に追われる不安とその後の安心とが僕の人生のテーマなんだ。


オフィスには5時ちょうどに着く。
門は閉まっているが、わきから入り込み、チケットを見せるとすぐに予約確認がとれる。
帰りのリクシャーでは、勝利の達成感。このゲームに、僕は勝った。頭の後ろのしびれは弱くなった。
時間による不安とその後の安心の落差は、普段とは比べ物にならないくらい激しくなっていた。だけど、これが僕の生なんだと思う。


人とコミュニケートする必要を感じて、そのままBABAゲストハウスに向かう。Mさんはいなかったが、子供たちがいて、待たせてくれた。
戻ってきたMさんも含めて、普通に会話ができる。自分を確認してくれる人たちと会うと、自己は安定してくる。
すぐに荷物を取りに戻り、ここに泊まることにする。
ゲストハウスの長男は、僕が1度出ていったことに不満を感じていたようだったが、こっちの方がよかったと言うと、にこっと笑ってくれた。
誰でもいいから、人を喜ばせたかった。だが、それは自分のためだった。それは、最後に問われることなのだ。
臨死体験をして性格が変わった人の話を、昨日の夜、インドの達人がしていた。「何を見たんだろうね?」―彼も、1つの心の支えだった。彼は分かっている。彼も見たはずだ。
もう1つの支えは、7ルピーごときで、という思い。2〜30円で狂ったんじゃあ、カッコ悪すぎる。そのことを、友人と笑い合えることで、次第に自分と周りがクリアになっていった。
実際、BABAで子供たちと彼に会うまでは、自分が世界だ、という感覚がなかなか抜けなかった。
夜、遅くまで話しているが、寝るのはやはり怖かった。もう戻って来れないんじゃないだろうか。