短編小説「油断」

うっかりしていた。
すっかり忘れていた。
あちゃー。まさか!
ここまで忘れてしまうとは思ってもみなかった。
油断していた。
まさか今日が締め切りだったとは。


ここ、2050年の日本においては、環境の悪化が激しく、水、食料、石化燃料、新鮮な空気など、生存に必要なものの全てが極端に不足していた。
地球の温暖化により水位は上り、東京の大部分は水没していた。残された部分はスラム化していた。首都は移転していた。島根県に移転していた。理由は一番マイナーだからであった。
日本の人口は1億5,000万人だったが、うち80%が老人だった。人口は過密だった。生まれた人間の全てが生きていけるような状況ではなかった。
残すべき人間を、子供時代に選別する必要があった。優れていると判断された上位5%の子供については、生き残ることが義務となっていた。その層の人間は、多くが死を望んでいたにも関わらずだった。反対に、劣悪と判断された下位5%の子供は、生き残ることが許されなかった。政府により速やかに処分がなされた。
その判断は、5歳から5年ごとに行われる全国一斉テストの結果によってなされていた。テストはマークシート方式で、全50問程度の簡単なアンケートから成っていた。それと、簡単な面接だった。
中間に位置するほとんどの子供は、自由意志によって生か死かの選択をする必要があった。死を選ぶ人間も増えていた。社会には極めて濃厚な厭世的ムードが漂い、実際、生きていても何一ついいことがなかった。
所得税は80%に達した。働けど働けど我が暮らしは楽にならなかった。じっと手を見てる暇もなかった。
全ての快楽は禁止され、禁欲的な生活が強制されていた。それでも生きるのか?それは個人的な問題だった。
実際、死を選ぶ人間は2割近くに達していた。生か死かの選択は、個人の価値観に属する問題だった。その選択は、二十歳の誕生日までに行うことになっていた。


その届出をするのをすっかり忘れていた。
あちゃー。こりゃいけねえ。参った参った。
届出を忘れると、生き残る意思がないものとみなされ、政府によって速やかに処分されることになっていた。
昔から、嫌なことは考えないタイプだった。
テストはいつでも前日の夕食後から準備を始めた。
だったらまあ仕方ないか。
あきらめは早い方だ。
すぐに現実的に考える方だ。
今からできることを考えるしかない。
今からできること…。


こうなったら政府の転覆を企てるしかない。
革命を起こすしかなかった。
死ぬのは真っ平御免だった。
なんとしても生き延びたかった。
今になって気づいた。
俺は猛烈に生きることを希望していた。
こんなことになるんだったら、最初から迷うんじゃなかった。
問題を先送りにするんじゃなかった。
涙がボロボロとこぼれ落ちた。
膝がガクガクした。
地面が崩れ落ちるようだった。
怖くてもう立っていられなかった。
両手で顔を多い、崩れ落ちた。
絶望が怒りに変わった。
老人が生き残り、若者が犠牲になる世の中など、間違っている。
政府によって殺されるなど、断固として拒否すべきであった。
生き延びたい。
なんとしてでも、生き延びたい。
そのためには、俺以外の全てが死んでも構わない。
強烈な生への意志が俺を貫いた。


何かが吹っ切れたような気がした。
そうだったのだ。
生きることは、罪悪感を感じるべきことではなかった。
生きることは、返すべき負債のようなものではなかった。
それは、祝福だったのだ。
生きることそのものが、すでに目的だったのだ。
ただ在ること。
それだけで、それは極めて奇跡的であり、極めて自然なことだった。
世界は輝いて見えた。
誰かれ構わず話しかけたい気分だった。


街に出ようと玄関を開けると、そこにたまたま誰かいたので、思わず話し掛けた。
「あのさあ、生き・・・。」
それと頭に激痛が走ったのとが同時だった。
俺は頭を打ち抜かれていた。
ほぼ即死だった。
死ぬ前の一瞬に気づいた。
そうか、これ政府の人だったか。
早速処理にやってきたのか。
こんな時ばかり仕事が速い。
しまった。
転覆しようとしてたのに。
うっかりしていた。
すっかり忘れていた。
油断していた。
手遅れだった。
だがあきらめは早い方だった。
まあいいか。
「『油断』というタイトルを思いついて、何に油断してたら面白いだろうかと考えて、軽い感じでうっかりしてたのが実は生死にかかわることだったら面白かろうと思って、その背景を膨らませてたらだんだん主旨が分からなくなってきて、結果としてあんまりインパクトがなくなって面白くない話になったけれども、まあいいか。」
そんなことを思った。
あきらめは早い方だった。
<了>