思考と感情

思考は感情に支配される。
思考は脳により、感情は身体による。
脳も身体の一部だから、思考もまた身体によるものである感情に大きな影響を受ける。
思考はいつでも感情の後を追う。思考とは常に理由の後づけで、それは例えばスタッフの仕事みたいなもの。予め分かっていることを遠回しに説明すること。
だからどれほどの言葉が費やされようと、前提が変われば結論は変わる。どれほど客観的に考えようとしても、体調次第、気分次第で結論は変わる。思考することにたいして意味はない。

忙しくなって余裕がなくなってくると、喜怒哀楽が激しくなる。
感情のコントロールがきかなくなり、考え方も気分次第でころころと変わる。
判断など下せないと思う。
しかし、そうなると、感情の背後にどんなときも冷静に見ているもうひとりの別の「自分」がいることに気づく。そしてそれが「本質」なのかもしれないと思う。
「自分」というものの本質は器のようなもので、その中身がどれほど荒れていても穏やかでも、それは関係なくいつもそこにある。
あるいは川の流れのようなもので、中身は常に変わりながら、本質はいつも同じ。急流では激しく流れ、河口付近ではゆっくりと穏やかに流れる。場所が変われば何事もなかったように流れが変わる。しかし本質は変わらない。
感情をコントロールしようとせず、感情の流れに身を任せてみる。自然に発露させてみる。そうすると、感情の乱れはじきにおさまる。
本質に意識を置いておくことにより。