悲しみと言葉

僕がこのHPで何度か繰り返しているテーマのひとつに「言葉の限界」ってことがある。
直接的な生の感情に対して、言葉で言い表せる範囲はあまりにも限られているということ。
言葉は常に死んだ構築物で、なにかを表そうとするとき、それは不便でもどかしい。

でも、ネガティブな感情に直面したとき、事情は変わってくる。
圧倒的な悲しみや大きな不安に襲われたとき、人はそれをそのまま抱えておくことには耐えられない。
どこまでも大きく広がった負の感情は、言葉によって形を与えられ、限定される。弱められる。
人に伝えることもできるようになる。
そして、感情をある程度客観視できるようになる。
自分だけに襲いかかった不条理な出来事ではなく、誰にでも起こりうることなのだと気づくことができる。
そういう役割も、言葉は持っているのだろう。