潮流

失われた10年
1990年代は「失われた10年」と呼ばれる、長期的不況の時代であった。
1990年代は「相対化の時代」でもあった。あらゆるものが相対化された。
社会主義の相対化:ベルリンの壁崩壊(1989年)が象徴している。
・産業文明の相対化:京都会議(1997年)により、「環境問題」という足かせが生まれた。
・科学技術の相対化:科学が全てを解決できるという「信仰」は崩壊した。
市場経済の相対化:タイの通貨危機(1997年)により、市場万能神話が崩壊した。


現在、各イデオロギーの限界が見え、規範喪失状態になっている。
そして、その結果、宗教・民族の問題が表面化した。
最後に残ったのは結局、最も根源的な問題であった。


<共同体の喪失>
西洋では人間不信を前提として、超越神信仰と契約の観念によって社会が成り立っている。
日本では絶対的な信仰がないために、人間や組織への信頼を前提として、組織への凝集力、連帯性を確保している。
その文化の中で内部告発が続くと、組織の崩壊に繋がる。いや、すでに組織は崩壊の方向に向かっており、内部告発はその現れのひとつに過ぎないのかもしれない。
失業率が上昇している中(現在4.6%。90年代まではおよそ2%台で推移。)、伝統的なコミュニティも失われたままであっては、リストラされた企業戦士には所属する場所がない。 戻るべき共同体もなく、日本ではまだ個人主義社会も形成されていない。


→「複数帰属社会」実現の可能性は残っている。
限られた仕事を皆でシェアすることにより、個人の自由時間は増加する。そして、会社以外の場所にも帰属することができるようになる。
(cf「柔らかい個人主義の誕生」山崎正和


<21世紀は…>
1.停滞の世紀:イノベーションは出尽くした。
2.生命科学の時代:人間に対する根本的な反省と哲学的成熟の可能性。
3.エコロジー:西洋の人間対人間だけの図式ではなく、自然の価値を認めるようになっていく。
…の可能性が考えられる。

(参考:「週間ダイヤモンド2000年1月・新春対談」山折哲雄佐和隆光浅田彰


<人事大革新〜減点主義から加点主義へ>
1990年前後に、それまでの「集団主義人事」は崩壊し、「個別異質主義人事」に転換した。
かつての「集団主義人事」とは、「減点主義人事」であった。
個人は集団の論理に従うことを求められた。
集団の規範から外れた者は減点された。
「出る杭は打たれる」の人事と言える。
これは組織に共通の目標がある時に力を発揮する。
しかし、冷戦が終わり、国家には目標がなくなり、グローバル競争のなか価格は下がり、物質的にも満ち足りて、差別化は限界に達していた。
もはや集団は全個人を引き受けるだけの力を失っていた。


これに対して「個別異質主義人事」とは、「加点主義人事」である。
個人の論理を集団の論理と同等、もしくはそれ以上に優先する。
そこでは、個人は集団の指示以上に動くこと(チャレンジ)、自己主張、改善・提案・工夫をすることが求められる。
「出る杭は育てる」人事であると言える。
上から大きな共通の目標を提示できないとき、組織を活性化させるためには、このような人事制度への転換は必要であった。
(「新しい人事制度」楠田丘)


同時に、1990年前後とは、団塊の世代がちょうど45歳あたりに差しかかる時期でもあった。
企業の労働力カーブと賃金カーブとは、だいたい45歳あたりでクロスするという。
つまり、若いうちは働きのわりに安い賃金で我慢し、45歳を過ぎた辺りからは働きのわりに高い賃金をもらうこと(および退職金)で生涯賃金のバランスをとるという仕組みになっている。
しかし、それが長期的な不況と団塊の世代の高齢化によって破綻した。
企業の売上が横ばいの、もしくは低下する中で、人件費のみは定期昇給とベースアップによって自動的に上昇していく。
そしてなされた改革である「組織のフラット化」とは要するにポストの削減のことであり、「成果主義の導入」とは右肩上がり賃金の廃止のことであった。
割を食ったのは団塊の世代である。
若い時に安月給で働いたという「貸し」は、踏み倒された。
あるいは、その貸しによって、日本は高度成長ができたのかもしれない。
「将来の理想(物質的な、金銭的な)のために現在を犠牲にする。」
しかし、「将来」は来てしまった。
(日本賃金研究センター)


<少子高齢社会と労働問題>
・「4分の1」:2015年には65歳以上の高齢者が日本の全人口の25.2%を占める、との推計がある。
・「2倍速」:日本はヨーロッパの2倍のスピードで高齢社会へと進んだ。

高齢化社会」から「高齢社会」になるまでに、西ヨーロッパでは平均して50年程度かかっているが、日本はわずか25年で達成してしまった。

cf)
高齢化社会」とは、65歳以上の比率が7%を超えた社会のことを言う。
日本では1970年の国勢調査時に7%を超えている。
「高齢社会」とは、65歳以上の比率が14%を超えた社会のことを言う。
日本では1995年の国勢調査時にすでに14%を超えている。


少子高齢化の影響
・若年人口の激減
2000年からの10年間で、20代の人口は400万人減少する見込みである。
1965年から1974年までの10年間で、20代の人口は250万人増えている。これは、学生運動などにより若者のエネルギーが爆発した時代である。
今回はそれ以上の人数の減少である。逆方向への強烈なインパクトがあることが予想される。
社会からは活力が失われる。


・雇用への影響
これにより、若年層は貴重になり、市場価値が高まり、コストが上昇する。
企業は女性や中高年層を有効に活用しなくてはならなくなる。


・弊害
社会の高齢化により、医療費の増加、社会保険料の上昇などが生じる。
これにより、若い世代の生活水準の低下が懸念される。
また、企業の社会保険料の負担が増加し、雇用抑制や雇用の空洞化の恐れがある。
年金給付は削減せざるを得ない。支給開始年齢は65歳に引き上げられ、賃金スライド(ベースアップ分の増額)は廃止される。
高齢者にとって、老後の不安は増し、消費は抑制される。
若い世代には夢も希望もない。


・システムの見直し
不足する若手の人材を補うために、雇用の延長や中高年層の活用が必要である。
そのためには、年功的賃金システム、昇進・処遇システムの見直しが必要である。
能力給、複線型人事制度(「管理職・専門職・専任職」に分けるなど)の導入の加速が進む。


・人材流動化
一社雇用保証システムの維持は困難となり、人材の流動化が加速する。


・個人の意識の変化
これらの状況の中、個人も就社から就職へと意識を変えざるを得ない。
会社に頼らず、貢献した分は先にもらいたいとの意識に変わってきている。


国際会計基準への移行>(1999年)
国際会計基準では、退職金や企業年金は「賃金の後払い」であると定義づけ、勤続した分、毎年債務が発生するものとみなす。
バランスシート上にみなし債務として確定することにより、経営者のコスト意識が明確になる。
終身雇用に対するコストの意識が明確になることは、企業に終身雇用をさせないような圧力が加わる。
これにより、やはり人材の流動化を加速させる方向へ向かう。


<労働者派遣法の改正>(1999年6月)
これまで専門的な知識、技術を要する分野だけに限って認められていた派遣事業の対象業務が、原則として(問題のある業者・分野・事業以外は)自由化された。
目的は、広い範囲で派遣労働を行えるようにすることにより、労働力の需要と供給の迅速、円滑、的確な結合を図っていくことにある。
これにより、失業期間の短縮、労働力の需要と供給のスピードアップが図られる。
(但し、目的が臨時的、一時的な労働力の受給調整であるため、1年を超えて派遣を行うことはできない。常用労働者と派遣労働者との入れ替わりが起きると雇用の安定を損なう恐れがあるため、罰則を伴う禁止がなされている。しかし方向性としては、制限はなくなっていく方向である。)
労働者にとってのメリットとしては、パートタイム労働者、アルバイトと比べて派遣労働者の賃金水準はかなり高いこと。
また、これにより中高年の労働者の就業機会も増えると思われる。


<境屋太一長官講演より>
産業革命以来200年の間、人間の労働を機械(および動力源である資源)に置き換え、大量に規格品を作り出すことが進歩であり美徳であると考えられてきた。
機械は単純な動きを得意とするため、修理・保守には適さない。そこで、「使い捨て」文化が生まれた。そこでは大量消費が美徳とされた。
日本は明治維新後から近代化を進め、1980年代までにはすでに規格品大量生産社会を完成させていた。
しかしここにきて「天然資源の有限性」と「地球環境の限界」という制約条件により、方向転換をせざるを得なくなった。


芸術は、物質文明が盛んなときに具象に向かい、衰えるとき抽象に向かう。
古代文明以前の農耕が始められたばかりの世界は「神の意志」に左右される時代であった。
そこでは抽象文様は見られたが、具象表現は見られなかった。


土地を改良する技術が生まれた古代文明では、自然は人間が作りかえることができるものとなった。
そこに、自然観察の習慣が生まれた。そこから写実芸術が生まれた。
そして、物質文明はローマのコロシアムや中国の万里の長城などを生み出して頂点を迎える。


しかし、そこで環境問題という壁に突き当たる。
森の木が燃料として大量に切り払われた。
今は乾燥地帯になっているレバノンイラクギリシャパキスタン黄河流域などは、その当時の文明の中心であり、当時は森に覆われた地域であった。
そして紀元2世紀頃にはエネルギー不足が生じ、生産の拡大が困難になってくる。
すると「座業」(ホワイトカラー)が主要な産業となる。
そうなると、一人当たりの所得や消費を拡大しようという発想になる。
そのために産児制限をする結果となり、少子化が進む。
ローマ帝国少子化が進んでいた。五賢帝はほとんどが子無しである。
先進国で少子化が進み、発展途上国で人口の増加が進むと、人口の移動が生じる。
ゲルマン民族の大移動や五胡十六国の乱などは、このころ、3世紀から6世紀にかけて起こっている。
それらの行き詰まりと混乱の後に世界は中世となり、現実を離れた空想と信仰の世界となった。
人口は減少した。


再び物質文明の時代に向かうきっかけは11世紀、中国の「宋 亜近代」である。
その直前の唐宋五代の時代の、石炭利用の技術の発達、金属の生産急増が原因と言われている。
宋代にもやはり写実芸術が生まれた。

そして13世紀のジンギスカンの活躍、そして15世紀のルネッサンスにつながっていく。
ここでも写実芸術と科学が発達した。
やがて熱エネルギーを力エネルギーに変えるという18世紀後半の産業革命につながっていく。


産業革命から今日までの200年は近代工業社会である。
生産手段と労働力との分離が起こり、生産手段は法人の所有としてそれ自体で限りなく巨大化していく。
大量化、巨大化、高速化が進み、資源を大量に消費し、人口は増加していく。

しかしそれは1970年代までであった。
資源と環境という制約条件により、大量化、巨大化、高速化の動きは止まった。
1980年代からは小型化、分散化の方向に向かい始めた。
しかし、日本はその動きについていけなかった。
私達は今、明らかに近代文明の終焉に立ち会っている。
パラダイムは転換している。


<雑感>
日本国民の均質性と勤勉性とは、大量の高品質な規格品を作ることに適していた。
また、そのための教育も完成していた。
全員に画一的に一定レベル以上の知識をつめこむこと。
それは優秀な部品としての人材を作るための教育であった。
勉強のための「クラス」であってもスポーツのための「クラブ」であっても、およそあらゆる組織は、均一であることを求め、飛び出た個性を排除すべく働いていた。
それを強化するのは、昔から変わらず、「村八分」という方法であった。


そう考えると、日本はずっと昔から何も変わってはおらず、社会は多数者を中心として動いている。
それは昔は農民であり、今はサラリーマンなのであった。
日本人はずっと変わることなく農耕民族なのであって、そういう民族にとっては、「強いリーダー」は必要ではなく、一部の「調整役」である(雑用担当の)「長老」を中心として後はみな平等に組織に所属し、変わったことをせず責任を持って自分の分担をこなすことが求められ、景気変動や天候の変化を皆で耐え忍びながら、種をまいて黙々と努力して待っていればやがて収穫の秋がくる…というような農民の血が脈々と流れ続けているのであった。


しかし今、あらゆる方向から、様々な形をとりながら、しかし共通したメッセージが送られてきている。
「変わらなくてはいけない」というメッセージが。
それは世界に対して、国に対して、企業に対して、個人に対して、それぞれのレベルで示されているように見える。


イデオロギーの時代から民族と宗教の時代へ」
「工業社会から情報社会へ」
「若者中心の社会から高齢者中心の社会へ」
「資源を使う文化から資源を守る文化へ」
「安定成長時代からゼロ成長時代へ」
「就社(終身雇用)から就職(転職前提)へ」
「組織重視から個性重視へ」
「職能等給制度から成果主義実力主義人事制度へ」


それらが相互に密接につながりあい、もつれあって全体として一つの方向に進んでいくように見える。
多数者の気持ちが社会を動かすのだろう。
現在の日本の多数者はサラリーマンで、団塊の世代である。
「会社に人生を捧げても見返りがない。今を楽しく過ごした方がいい。」
「低賃金でがんばっても将来賃金カットで損をするかもしれない。働きに見合う分をその時にもらったほうがいい。」
「いつ会社がつぶれるか分からないし、いつ首を切られるか分からない。世間に通用する実力をつけておかなくてはいけない。」


そういった「気分」は、「世論」となり「風潮」となり「制度」となって社会を動かす。

企業は不安でもろい存在だから社会の動きに敏感で、経営者は孤独で不安だから横並び意識が強くて、社会の様々な動きに明確な意志もないままに飛びつく。
―「パソコンの導入」、「携帯電話の導入」、「ホームページの開設」、「イントラネットの構築」、「情報共有化」、「SCMの導入」、「成果主義人事制度の導入」、「執行役員制度の導入」、「株価連動型報酬制度の導入」、「遵法経営の推進」、「連結経営の重視」、「会社分割」…などの動きに。
そしてその動きがまた、とどめようのない大きな流れを作り出していく。


大きくは「文明の終焉あるいは転換」として、「地球環境問題」として、日本では「少子高齢化問題」として、また「ゼロ成長時代への転換」として、ミクロ的には「各企業の経営の問題」として、「個人の意識の変化」として。
全く同じ現象が複雑に絡まりあいながら様々な形で現れ、同じ方向に進んでいる。


例えば、少子化はなぜ起こるのか。
・将来に不安があるから子供を産まない。
・競争社会で生き残るには少数の子供に多額の投資をする必要がある。
・女性の社会進出によって。女性の社会進出は、「平等」の思想の実現として。あるいは少子高齢化の中での労働力、社会保険の負担の必要性から。
・本能的に、人間が過剰であると感じるから。それは子供の放置、虐待へとつながる?
・物質文明が発達すると、一人当たりの所得を上げようとする方向に向かうから。
・死亡率の低下により。
理由はいくつも考えられる。


個々の人々はこれといった明確な意識もないままに、それぞれの事情でそれぞれが行動しているだけなのだろう。
しかし全体として見ると、明確に一つの方向に向かっている。
水槽の中で、増えすぎた魚が共食いを始めるようだ。
種としての本能だろうか。


世界の動きは、歯車の組み合わさった巨大な機械であり、様々な大きさと向きのベクトルの総和であり、巨大な有機体であり、張り巡らされた神経細胞内の情報の伝達であり、みんなでやってるコックリさんのコインの動きでもあるのだろう、きっと。
誰もが動かし、誰もが動かされて、誰もに責任があり、誰にも責任がない。
しかし確実に動いている。


<メモ>
○人材の流動化への圧力
・国家の目的喪失 ←冷戦の終結イデオロギーの限界、物質的豊かさ
 →価値観の多様化:集団から個人へ
 →能力主義
・少子高齢社会
 →社会保険の負担増、中高年の雇用の必要、労働力の確保の必要性。
・社会の成熟化:安定成長の中での仕事のシェアの必要性。
・労働者派遣法改正:雇用の需給関係の改善
・業績の悪化によるリストラ ←不良債権、グローバル競争、価格破壊
企業年金、退職金の負担 ←国際会計基準導入による債務の明確化
社会保険料の負担増 ←少子高齢化
・個人の組織への帰属意識の希薄化 ←個人主義人事制度、多数帰属社会、リストラ


○ 共同体が崩壊し、拠って立つ場所を喪失する個人。
・柔らかい個人主義
・多重帰属社会
・リセットできる関係性
・キレやすい子供


○IT革命
「これからの経済社会のビジョンは、所得−消費の次元ということではなく、人々が潜在能力をそれぞれの水準で発揮し得る場をつくる市場や組織、ここにはNPOとか政府も入るが、そういうことを構築する次元で論じられるべき。これは、アジア人として初めてノーベル経済学賞を受賞した、アマルティア・センの新しい厚生経済学の発想であり、画期的な発想だったと思う。」


…そしてこれは、人材の流動化が進み、仕事のシェアが進み、あるいは所属すべき共同体をなくしたときに個人が所属すべきもう一つの共同体の具体的な現れとなりうるかもしれない。「柔らかい個人主義」の具体的な実現の場となりうるかもしれない。だから、僕はこうしてホームページを開設してみたりしている。