司法試験とデジタルとアナログと小沢健二

先日、新聞に「司法試験に合格して研修中の判事補が判決文を書く際に、指導官に『有罪と無罪のどちらで書きますか?』と問うた」という話が載っていた。
答案を書く技術はあっても、「一つの問いに一つの答え」と思い込み、マニュアルに頼ろうとする。最後には人間性が問われるということに無自覚である若者を嘆く内容であった。


この判事補の感覚は、我々の世代には「分かる」。(そんな奴の裁判は受けたくはないが。)
こういう話は「受験やマニュアル化の弊害」という文脈で語られるのだろうが、これらはもっと大きな本質的な流れの、表れ方の一つでしかないのではないか。
大雑把に言うと誤解を招きそうだが、「デジタル化」の流れである。
新聞ではIT革命については大々的に煽っているが、これは同じことの裏面に過ぎない。
社会全体が、デジタル化という一つの方向に進んでいる。
それは全て時代の意志なのだろう。
我々の情報処理の方法は変化している。
多くの情報に対処するために、我々はデジタル化している。


「思考」はデジタル的であり、「感情」はアナログ的だ。
「思考」とは脳によって作り出されるもので、「感情」は体全体で作り出されるものである。(、というように二元的に考えようとするのがすでにデジタル的ではあるが。)
「思考」とは「言葉」による論理の構築だ。
「言葉」とは感情の属する圧倒的なイメージの世界の中に張り巡らされた不完全な網の目だ。
「感情」に比べて、「思考」の持つ情報量は圧倒的に少ない。
圧倒的なイメージの世界に直接繋がっている感情と比べて、有限な言葉を使って思考するときに情報量が著しく低下するのは当然のことだ。
しかし、膨大な情報を処理し、交換するためには、デジタル化はやむを得ない。


例えば「心証」の持つ情報量は圧倒的であり、それは法令や判例の比ではない。
日常のコミュニケーションの中で、「非言語コミュニケーション」の持つ役割は言語によるコミュニケーションに比べて圧倒的に大きいという。
人はしゃべっている内容よりも、しゃべっている人間の様子―顔色や目線、声の調子などにより、多くの情報を受け取る。
感情は思考に先んじる。
有罪/無罪の理由など、理屈は後からいくらでもつけられるのだ。
相手のことが好きな理由、嫌いな理由(本当は感覚的なものであっても)、自分だけが正しい理由(本当は全く正しくなんかなくても)…理由だけならいくらでもつけることができる。
脳にとっては、感情(広い意味で)の下した結論に向かって道筋を追いかけていくことは楽なことなのだ。
最も効率良く、最短距離で論理的思考をするトレーニングを積んできた、「脳」のエリートである司法修士生が、感情とノイズのカオスを含んだ現実の問題を目の前にして戸惑うのは、当然のことなのだ。
(昔の司法修士生が戸惑わなかったとしたら、当時は情報やノウハウが不足していて皆が遠回りをしていたせいであろう。もしくは十分にカオスを含んだ大雑把な脳でも対処できる程度の問題だったのだろう。いや、今でもそうかもしれないけれど。)


思考とは感情による直観的かつ本質的な理解と理解との間を繋ごうとする試みに過ぎない。
言葉とは全身的な感覚を0と1の信号に翻訳し、同じパターンを相手の脳に生じさせて理解を得ようとする不完全なコミュニケーションの試みである。
例えば自然の景色に感動したとき、それを言葉にしようとすると、言葉のあまりの不完全さに絶望的な気持ちになる。
いくら膨大なエネルギーを注いで0と1の網の目を細かくしようとしても、湧き上がる感情のすべてをすくい取ることはできない。


――分かり合えやしないってことだけを分かり合うのさ――


クサい言葉だけれど、フリッパーズギターのこの歌詞がその絶望を表している。
アナログな感情の世界はただそこにある。
しかし、世界の脳化・デジタル化は加速度的に進み、全体的なイメージの世界を0と1とに切り分けていく作業は続く。
解像度を上げて輪郭を無限に細かく記述していけば、デジタルの世界も限りなくアナログな自然な世界を記述できるようになっていく。
注ぎ込まれる膨大なエネルギー。
そうして脳的なデジタル化の波が世界を0と1とに切り裂き、そして世界を作り変えていく。
湧き上がる圧倒的な感情を言葉に置きかえる絶望的な試みに疲れ、高まった内圧は音楽となって表出する。絵となって表出する。しかし技術の進歩は、それさえをもデジタルの信号に変える。

脳的な環境が整備されて、デジタルな志向が肯定される時代にあっては、脳にとって楽なほうに流れるのは当然のことだ。
デジタル情報は「無駄な」ノイズを取り除いているから、情報はシンプルにスピードを持って流れていく。


デジタル化へと進む、その目的は何か?それは進化か?
企業で、日々の生活の中で携帯電話を使って、インターネットで(こうして)、誰もが世界をデジタル情報に記述し直しているように見える。
情報はネットを通じて世界を流れ、結びつき。
「何かが分かる」ことを目指しているのだろうか。
新しい「神」を作り出そうとしているのだろうか。
神と化したコンピュータによる人間支配なんていう構図は何十年も前からありふれているテーマだ。


通信の発達と情報の共有化は、人と人との距離の制約をなくし、時間の制約をなくす。


――だんだん小さくなる世界で――


この世の「あの世化」が進んでいる。
「夢の世界化」と言ってもいい。
そこではイメージが全て。
距離の制約は一切ない。
そして完全なるコミュニケーションの夢。
脳による完全なる相互理解の夢。
湧き上がる感情の圧倒的な世界は、ついにデジタル情報として、完全に流通可能なものに置き換えられ。
自他の差はなくなり。
自我の壁は取り払われ、そして皆が一つの繋がった輪になる。


――僕は無限にゼロを目指そう――


そのために、全ての情報を、感じられることの全てを、産み出されるものの全てを、0と1とに切り分け。
コピーされペーストされ、ネットを駆け巡り。
情報は加速度的に増殖し。
二次曲線を描く。


――止まるくらいスピードを上げて。ずっと。ずっと…。――


これが、脳化が進み、全てが「情報」として目の前にある仮想現実のようなこの世界に生き、肉体をおきざりにして加速する僕らの脳が産み出す過剰な自意識が夢見る、進化の果ての自殺願望である。


人間の意識はズレである。
ズレは、時間を経るごとにますます大きくなっていく。
脳は肉体を超えさせるためと、意識を消すためと、そう意識づけては膨大なエネルギーを世界のデジタル化に向かわせて、そしてますます世界の脳化を加速させてゆく。
本当は、脳の働きは手段に過ぎない。
しかし、脳に引きずられ、本当の目的は考えられなくなってしまう。
本当の目的とは何なのか。
脳を通すことによって、我々はとてつもない大回りをしているのではないのか。


人間性をもって判断すること、感情を持って考えること、それには圧倒的な情報量が必要だ。
0と1とに単純化しない情報は、圧倒的なノイズをもまた含んでいるのだ。
それを受け入れるのには、やはりノイズをも呑みこむ圧倒的な肉体が必要だ
僕らを取り巻く情報の量は加速度的に増加していく。
しかし、人間の肉体がそれに見合うような進化をしているわけではない。
膨大な情報を処理するためには、デジタル化し、単純化し、圧縮をしていかなくてはいけない。
能力をメモリに特化し、記憶は外部に持たなくてはいけない。
そういう方向を人間は選択し、進んでいるように見える。
脳を重視しすぎてはいないか。
脳に引きずられすぎてはいないか。


しかし今、一方で東洋へ、インドへという流れがある。
月の光に照らされて、輪郭のぼやけた夜の世界。そこに昼の世界の明晰さはない。
頭で理解しようとせず、ただありのままを感じること。
言葉にしようとすることをやめ、ただ感じること。
そうすると、心の奥底のイメージの世界に直接繋がることができる。
感情の爆発。
光の世界。


――LIFE is coming back!――


そこで得る情報量は、脳を酷使して言葉を紡ぎ出した果てに、かすかに見えて来た光の中に直接飛び込むくらいの膨大なものになるだろう。


――爆発する僕のアムール――


感情の世界とダイレクトに繋がること。
脳を通して理解しようとしないで。
純化したり、圧縮したりしないで。
ただ全体を全体として捉える。
瞬間を感じる。
瞬間の中に全てがあることを知る。


――僕は思う この瞬間は続くと いつまでも――


でも、その瞬間が続くことは、いくら願っても多分かなわないことだ。
「光」そのもの、「美」そのものに貫かれたら、人間は一瞬で焼き尽くされてしまうようなものなのだろう。
それでも人はそれを求める。 
その瞬間はいつまでも続くと祈るのだ。


だけど、一瞬であってもその膨大な情報にアクセスすることができた時、そして焼き尽くされずに戻ることができたとき、人は遠回りをやめ、新しい方向に進むことができるのかもしれない。



(こうして無駄な言葉をつむいでいるときの、この脳のざわめき。脳の中を過剰な脳内化学物質が飛びかっている。この過剰なエネルギーを使い切ってやろうと思う。筋トレで筋肉を酷使することが快感であるように、脳を疲れ果てさせようと思う。しかし脳は強力で。それはそうだ、本来肉体に使うべきエネルギーをも使い果たし、ますます僕は病的になっていく。そもそもの目的はなんだ?この過剰な意識を消し去ること。しかしそれなら逆効果。本当は、何も考えないように。肉体を重視することが大切なのだ。過剰さを感じたときは考えるよりも前に筋トレでもすべきなのだ。それは分かっている。しかし繋がっている。意識の狭間から言葉が溢れ出してくる…。)