松本大洋

松本大洋氏は間違いなく天才だ。

独特の緊迫感を孕んだ絵。
それが構図と積重ねで加速していく。
そして、重さと速さでこの世界を突き抜ける。


テーマは決まっている。
世間/社会/日常からはみ出した人間。
主人公はこの世界の異端者で、孤独だ。
しかし彼らには必ず一人の理解者がいる。
それによって異端者はかろうじて世間に繋がっている。
五島と荒木(ゼロ)、花男と茂雄(花男)、クロとシロ(鉄コン筋クリート)、スマイルとペコ(ピンポン)、ユキとマコト(GOGOモンスター)…。


彼らは強すぎるゆえに、あるいは純粋すぎるゆえに、この世界に馴染まない。
世界の狭間で生きている。
しかし彼らには一人の理解者がいる。
たった一人だけだ。
しかし一人でいい。
まったく違うけれど、どこか似ている、黒と白のように補い合う関係にある相手。
魂の双子とでも言うべき、その相手がいればいい。
二人のバランスによって、彼らは何とかこの世界に留まることができる。
そのバランスが崩れたとき、異端者はすぐに高いところに、あるいは深いところに行ってしまう。
それは切実で、美しい。


「ゼロ」

単行本2冊と短い分密度が高く、圧倒的な絵と言葉の力で、最初から最後まで途切れることのないテンションで突っ走り、ついに狂気の世界にまで達する。

ボクシングマンガには「あしたのジョー」という巨大な壁があるが、「ゼロ」はすべてにおいてその逆を行き、そしてそこに並んだ名作だ。
「ジョー」は、「少年が闘いながら成長してゆき、栄光の頂点で燃え尽きる」という、少年マンガの王道の黄金の「物語」を持つ。
これに対してゼロは、「物語」が終わった所から始まる。
今の時代には、物語はすでに終わっている方がリアリティがある。
終わっているところから始めなければいけないのだ。


最初から圧倒的な強さを持つ主人公・五島は、頂点に一人立ち続け、孤独の中、死ぬ(引退する)場所を探している。
そしてついに最後の試合にふさわしい相手が現れる。
自分と同じ場所に立てる相手。
自分の後を継ぐべき相手。
そして、戦いの中、五島は相手に「種」を残そうとする。
強すぎる者同士、狂気を孕んだもの同士は、戦いを通してしか伝えあうことができない。
しかし戦いの中で、誰よりも深く伝えることができる。

もっと遠くへ!!
素晴らしい所だよ。
誰もわかってくれない。
みんなすぐ壊れちゃう。
ずっと一人だった。
ずっと…
もっと遠くへ行こう!!
――バランスが壊れちゃうんだ。――
ここは嫌だ。
――壊れないオモチャ。――
みんな変な目で見るんだ。
――神の宿る拳だ。――
もっと遠くだ。
もっと。
もっと。もっと。もっと。もっと。もっと。

しかし、五島は強すぎた。
もっと遠いところへ、もっと高いところへ。
どこまでも進んでしまう。


「強すぎるが故の孤独と悲劇」
そんなテーマじゃあ普通、読者の共感は得られない。はずだ。
少年ジャンプへの連載は絶対無理だろう。
しかしこれは分かる。
泣ける。

花だ。花がいい…。
春咲く花は秋には枯れる。
花がいい…。次生まれる時は花がいい…。
そうしたら荒木、お前は隣に咲いてくれ…。

ラストシーン。
これもまた泣ける。


ジョーは最後に燃え尽きる。
それは日本人的であり、はかなく美しい。
これに対して、死に場所を探していたはずの「ゼロ」は、それにふさわしい相手と巡り合ったはずなのに、どうしても立ち上がってしまう。闘ってしまう。そして超えてしまう。相手を倒してしまう。
目的を失っていても、カッコ悪くても、孤独でも、それでも闘わなければいけない。


死んでしまうというのは情緒的で、泣けるが、甘い。
「それでも生きなければいけない」という悲劇のほうがリアルだ。

(しかし、「ゼロ」は、すべてにおいて「あしたのジョー」の逆を行っているのであって、いまだにスタンダードとしての力を持っている「あしたのジョー」も当然偉大なのだ。)